赤ひげ特別公演のお知らせ

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いまここに蘇る!あの感動の舞台

赤ひげ

山本周五郎・原作『赤ひげ診療譚』より
田島 栄・脚色
十島英明・演出

企画制作・(株)圭史企画

日時:2024年3月19日(火)
①昼の部(14時開演)
②夜の部(18時開演)

場所:吹田メイシアター(阪急吹田駅すぐ)

チケット代:前売 2500円(当日 4000円)
(チケットは、お近くの事業所もしくは健康友の会まで)
⇒|淀協の事業所


全日本民医連・大阪民医連結成70年
三島無産者診療所・加藤虎之助医師没後90年
茨木診療所新築オープン
相川新診療所建設スタート
健康友の会ふくしま発足
大阪ファルマプラン創立30周年

記念特別公演

 

主催:赤ひげ上演実行委員会

共催:
公益財団法人淀川勤労者厚生協会 / 西淀川・淀川健康友の会 / 健康友の会あいかわ / いばらき健康友の会 / このはな健康友の会 / 健康友の会ふくしま / 大阪ファルマプラン / 西淀川医療労働組合

後援:全日本民主医療機関連合会 / 大阪民主医療機関連合会


連絡先
赤ひげ上演実行委員会

06-6476ー4511

健康で豊かに暮らせる一年に-新春フレッシュインタビュ-

あけましておめでとうございます。本日は、北山会長とファミリークリニックなごみ職員 三浦さんにお話をお聞きします。まず2023年はどんな年でしたか。

北山 春の選挙で私は市会議員選挙に立候補し残念ながら敗れました。しかし、その時に訴えた内容が少しずつ実っているかなと感じています。たとえば「万博やカジノへの税金投入はやめ市民に役立つ税金の使い方に」と訴えましたが、最近の世論調査では「万博不要」が7割近くなっています。税金の使い方として提案していた道路の舗装が進んできたり、公園の問題も地域のみなさんと一緒に調査し行政を動かしていく流れができています。

新型コロナの規制がゆるめられ、健康友の会もサークル活動などかなり活発化してきましたね。
また、ガザでの軍事紛争も起こり戦争や軍事攻撃がいかに愚かな行為であるか、憲法9条の立場での外交努力の大切さを痛感する年になりました。

三浦 今年就職し社会人になり、ファミリークリニックなごみでの勤務の他、原水爆禁止世界大会にも初めて参加し実りある1年になりました。

健康友の会の担当になり、世話人さんと地域訪問をしたりして少し地域のことを知ることができたと思います。

編集部 今年やりたいことは何ですか?趣味や楽しみなどをお聞きしたいです。

北山 妻や家族ともっと旅行に行きたいですね。最近は春や秋が短くなったと言われますが、日本の四季それぞれの良さを旅先で感じたいなと憧れています。また、各種のスポーツを楽しみたい。
大谷選手や八村選手などのさらなる活躍が楽しみです。他のスポーツもレベルが高まっています。フェアプレイ・リスペクト・ノーサイド・チームプレイ、最後まであきらめない精神など、スポーツから学ぶことも多い。国際交流と平和を広げていくこともできる。そんな意味でもスポーツに触れていきたいですね。

三浦 私もスポーツが大好きです。学生時代からプロ野球、高校野球を生で観戦していますが、今年は野球以外のスポーツも生観戦に行ってみたいです。

編集部 三浦さんは今年、何を頑張りたいですか。

三浦 この一年は計画を立てて仕事をすることを目標にしてきました。ある程度できているかなあと思いますが、「素早く正確に」という点がまだまだですので、さらに頑張りたいです。

編集部 北山会長、2024年はどんな年にしたいですか。そのために健康友の会はどんな活動をしていくことが必要でしょうか。

北山 まず、みんなが安心して健康で豊かに暮らせる1年にしたいですね。心配なく医療にかかり、介護が受けられるように。孤独・孤立の人をなくしていきたい。「万博・カジノ中止」「健康保険証継続」「PFAS汚染の実態解明と解決」などなど、環境や平和の問題も重要です。

健康友の会としては、健康増進の活動・サークル活動や学習会・イベントなどに参加する会員を増やし、担い手を増やしていきたい。もちろん、会員もさらに増やしていきたいですね。働き盛りの方や若い世代も楽しく参加していただける取り組みも工夫していきたいです。
ご意見やご提案なども大いに寄せていただきたいと思います。

三浦 難しいことはちょっと苦手なのですが、PFASの問題や平和の問題など、少しずつできることをやらなければ、と思っています。

編集部 健康友の会が、ますます大きく活発に活動できるように、若い人も楽しみながら力を発揮できるようにしたいですね。本日はありがとうございました。

もっと参加したい!地域を元気にする健康友の会

みなさんに支えられて

健康の友500号おめでとうございます!46年間も継続して発行されてきたことがまず凄いことです。会員の皆さんに支えられて淀協・ファルマが成り立っているのだなと感じます。

私は西淀病院で看護師として10年間働き、友の会のイベントにもたくさん参加させてもらいました。交流しイベントや行事を楽しむことが、日々の生活に活力や、彩を加え、地域の健康にとても大きな影響を与えています。「喫茶元気」は地域の方の憩いの場、職員もその輪の中に入りコミュニケーションをかわすことで、病院や診療所にたくさんの地域の顔見知りの人がいます。

地域の方が病棟に入院してきた時も、知ったスタッフがたくさんいることは患者さんにとっても安心感があります。しかしこの間、コロナの大流行によって活動が大きく制限され、コロナ後に入職した職員は会員さんと交流する機会がほとんどもてませんでした。

職員も健康友の会活動にもっと参加することが大事

最近ではコロナも落ち着き、少しずつですが健康友の会の活動に参加する機会も増えてきました。コロナ禍で人と人の繋がりが希薄になってしまった今だからこそ、健康友の会が地域の人々の元気や健康に与える影響を再認識し、職員も地域に出て、地域の方々と接する機会を増やしていくことが本当に大事だと思います。

社会に目を向けて

日々働く中で、患者さんを通して様々な問題を感じます。けれど医療の現場だけでは物事をとらえる視野が狭くなり、問題をその人自身の問題ととらえがちです。健康友の会の活動や地域との交流を通して社会に目を向けることで、諸々の社会制度やそれを作り出している政治や社会にこそ、問題や矛盾があることに気づくのだと思います。

西淀病院看護師
西淀川医療労働組合執行委員長
斉藤 千治

みんなで作ってきた診療所、支部たまり場、「健康の友」…

柏花診療所ができた

 1948年ころ、化学工場で勤めていた夫が職場の薬品被害について林喜彦先生に相談したことをきっかけに西淀病院の患者になりました。そのころ、医療機関がなかった柏里・花川地域にも「診療所がほしい」という声が高まり、夫やご近所の有志が集まって資金を集め場所を確保して、1949年に「柏花診療所」ができました。

健康の友の編集委員として

レッドパージで会社を首になっていた夫は、健康友の会ができた時の代表世話人と「健康の友」の編集委員もしていました。私自身は66歳まで働いて家計を支え新婦人などの活動はやっていましたが、代表世話人や「健康の友」の編集委員をするようになったのは、26年前に夫が亡くなってからです。関西共同印刷の方にもいろいろアドバイスをもらい、編集委員のみなさんと楽しく意見を出し合ってやらせてもらいました。

支部たまり場もみんなで

2009年に柏花診療所が閉院になったことは残念ですが、淀協は事業所も増えて大きくなり心強いことだと思います。健康友の会の活動で、健康相談、日帰り旅行、健康まつり、高齢者の食事会、平和を語るつどい等々、みんなでいろいろと取り組んできたことで地域の人とつながりができました。柏花支部のたまり場を作るために、みんなで毎月お寿司を作って販売し資金を作ったことも楽しい思い出です。

井戸端会議をしましょう

ご近所も昔からの人は、施設に入ったり子どもさんの代になったり様変わりしています。私も96歳になり、足が弱くなって催しへの参加がしにくくなりましたが、幸い口は元気ですので井戸端会議ならできるかな、平和のことやくらしのことなど話したいことはたくさん。このごろ会っていない友だちやご近所さんにも声をかけたいですね。

和田 美頭子

患者から西淀病院事務長に

「ムチウチ症」の調査をするうちに

私は元々患者でした。交通事故で東神戸病院に入院した時、「西淀病院に『ムチウチ』をよく診てくれる先生がいる」と紹介されて西淀病院を受診してみると、評判を聞いて次々に患者さんが来院されていました。患者同士で話をするうちに、共通する事項や問題があることに気づきました。

「むちうち症」を発症する際の事故の状況、どんな治療を行ったか、その効果はどうか、療養期間中の困難(経済的、精神的、仕事、家族関係など)を患者さんたちに聞きまわり、まとめて主治医に渡しました。すると「これは貴重なデータだ。もっと聞いて集めてくれ」と言われ、外科の窓口で職員として働くようになり2000人くらいの調査をしました。1967年の事です。医師や検査技師とともに、資料をまとめて学会や民医連の研究集会などで発表しました。

また、運送会社・タクシー会社を訪問し、安全な労働環境づくりなど予防対策や発症後の生活保障の問題などに、会社や労働組合と一緒に取り組みました。これらのとりくみは、キーパンチャーなどの労災・職業病の問題に広がり「労災職業病学校」、さらに「社会医学研究所」開設につながりました。
その後、当時の西淀病院の事務長が病気で退職することになり「後は頼む」と言われて、西淀病院が野里へ新築移転するまで事務長を務めました。

建て替え中の診療所で阪神大震災

1994年、建て替え計画がすすめられていた千北診療所に異動。地域を知るために当時健康友の会会長だった出畑さん(故人)と一緒に地域を歩き往診について行き、勤務後も路地を歩きました。半年後の1995年1月、阪神大震災が発生、(仮)千北診療所は液状化、外壁が落下、廊下はかまぼこ状になる惨状でした。私自身も西宮で被災、家族は西宮中央体育館で避難生活、自分は診療所の近くで風呂に入って寝泊まりする生活をしました。

2000年に退職しましたが、2003年に大腸がんの手術をして現在は全国オストミー協会の兵庫の役員をしています。健康友の会では西淀うちの支部で「喫茶元気」の運営をしています。

さらに頼られる健康友の会に

健康友の会は当初は病院や診療所からの受け身の会であったように思いますが、現在は独立した組織として地域の中で存在感を示しています。さらに地域に頼られる会になってほしいし、そういう先進性を元々持っている会であると思います。

元職員・西淀うちの支部世話人
塩川和夫