「無料塾が続けられるんだな」と実感

「にしよど無料塾」は2014年5月発足以来147回続けてきました。参加した子どもたちは200人を超え、ボランティアも50人以上になっています。心より感謝しています。昨年からコロナ禍により3度休止。会場も、のざと診療所から「あおぞらビル」に移し現在に至っています。公害患者と家族の会、あおぞら財団のご厚意によるものです。密を避け少人数にし、月4回実施。1時間程度の学習ですが、子どもたちは本当によくがんばっています。最近は、こども食堂からお菓子などの差し入れがあります。

また、地域の方のご協力を得て、西淀川区社会福祉協議会のボランティア団体として登録されました。一刻も早くコロナ禍が収束し、無料塾がより多くの子どもたちの役に立つ場になればと願っています。どの子ものびのびと育つそんな社会をつくる機会に今度の選挙がなればよいと切に願います。

にしよど無料塾代表 伊藤孝さん

子どもも大人も「ホッ」とできる居場所を

「こども食堂」は「こどもたちが安心して食事や遊びを楽しめる居場所を」と2017年から始まりました。2020年2月までは、月1回土曜日に姫島福祉会館に子どもたちやお母さんやお父さんが集まってみんなでお昼ご飯を食べる「こども食堂」を、2020年4月からは、「西淀川・淀川健康友の会はっぴぃひめじま支部はっぴぃハウス」(健康友の会たまり場)を会場に、毎月第2・4土曜日のお昼ご飯の「お弁当」や食料品・文具など無料で配布しています。

子どもたちのしんどさを何気なく聴く事が大切だと思っています。保護者の負担も、私が子育てしていた頃より大きく増えています。今、子どもも大人もちょっと「ホッ」とできる所が必要だと思います。

「こども食堂」の活動をお手伝い頂けるボランティアさん募集しています。(詳しくは事務局まで)また、財政不足が課題になっています。家庭で不用になった文具、食料品などの提供、「こども食堂」の「会員・賛助会員」も募集しています。
この秋、私たち大人が責任を持ってきちんと選挙に行くことが大事だと思います。棄権する事なくぜひ投票に行って頂くことを訴えます。

TOTTOひめじまこども食堂 與世田 利恵さん

いのちや一人ひとりが大切にされる社会を

西淀川食料無料市場(以下、フードバンク)は今年1月から6月の間で4回まで取り組み、のべ1700名の方が来場しました。2回目から来場者アンケートをとり、コロナ禍が暮らしを直撃し、多くの市民が助けを求めていることが鮮明になりました。

アンケート結果では、①若年層やとりわけひとり親世帯での困窮度合いが高いこと②先行きの見通しが立たず、精神的苦痛や不安を感じていること③低い年金のもと災害などで生活の糧が絶たれた時の生活(社会)保障制度の重要性が増していること④生活保護は本来、憲法で保障された国民の権利だが「身内に迷惑がかかる」と、大変ハードルが高く、生活に困った時に、誰もが利用できる生活保護制度などが求められているなど、今、人びとの暮らしの困難さが浮き彫りになっています。

コロナ禍による生活困窮者支援活動を通して、「助けて」と言えない時代に、これまでの枠を超えて、様々な団体・個人の新しい連帯・共同が広がっています。一人ひとりが大切にされる政治への転換をご一緒にすすめていきましょう。

西淀川フードバンク事務局長 園部 建史さん

史跡めぐりで健康に!

万葉碑や新千舩橋の親柱がある住吉神社

8月1日〜8月20日に千北支部主催で、「史跡めぐり」を企画開催しました。内容は全部で7つの千北診療所周辺の史跡にまつわるクイズに答えるというモノ。ただし現地まで実際に行かないと解りにくい内容(石碑に刻まれている文字や石碑がある場所など)です。

今回出題されている史跡がどこにどんな風にあるのか、支部世話人と職員で下見に回りました。当日は徒歩でまわったので一番遠いところをよけても時間にして2時間、歩数でおよそ1万歩も歩きました。コロナ禍で閉じこもりがちの人にとってはかなりの運動量になったのではと思います。参加した世話人さんからは「久しぶりにあっちこっち歩いて楽しかった」など感想がだされました。

今回の問題は少し難しかったせいか、5人の子どもや大人の方から解答が寄せられ、全員正解だったので、みなさんに千北賞としてささやかな賞品をプレゼントする予定です。

いっしょに歩こう 竹島地域編

竹島3丁目にある旧家の塀伝い

アイスコーヒーが、ない!

今回は、御幣島支部の世話人さんたちと竹島地域を訪問しました。御幣島地域から竹島地域へは、竹島本通りを歩いて向かいました。行く途中にとても昭和チックな「ビン入りアイスコーヒー」を作っている「ナニワコーヒー」があるはずでしたが、残念ながらすでに閉まっていました。暑い中、喉を潤すことができませんでした。

旧家の中にタイムスリップ

「さあこれから竹島」と言うところで交番があったので、勤務中の警官に「今この古い家並みを探して歩いているのですが、これってありますよね」と地図を見せながら話をしました。すると「これもう潰されてなかったんちゃうかな」という返事をもらい、「えー、ないんですか」と落たんの声を漏らしました。

「もうこれらの旧家はないかもわからないけど」と地図に沿って歩くと、「あれー、ひょっとして、あの木ってこの写真の木と同じと違う」という場所がなんと見つかったのです。「わあ、ほんまに向こうにこの古い家もあるわ」と、この一角だけ昔のままの古い家や大きな家が残っていたのです。「すごいね。こんな場所が残っていたんやね」とみんなタイムスリップしたようにうれしくなりました。

竹島公園内にある竹島天神社跡の碑

最後は竹島天神社跡

古い家の中を縫うように進んで、最後に竹島公園にある「竹島天神社跡」に向かいました。
かつて、ここは竹島天神社の祠が文禄3年(1594)に勧請され、文政6年(1823) に社殿修理、文政9年(1826)には石灯籠が寄進されたところです。しかし明治42年(1909)に香具波志神社に合祀されてしまいました。
最後に「お疲れさま、ほんまに暑かったわー」「さあ、冷たいもん飲もうか」とみんなでコンビニに入りました。暑いけど、楽しい地域めぐりでした。


旧家


竹島天神社跡(竹島公園内)