命をつなぐ!防災セミナー

緊急時を生きる知識を身につけよう!

参加費無料

命をつなぐ!防災セミナー
どなたでもご参加ください。

日時:2025年3月29日(土)10:30~12:00
(開場:10:15~)

会場:淀川区民センター  第1会議室
(大阪市淀川区野中南2-1-5)

講師:落合甲太 医師(西淀病院・副院長)

特別報告:能登半島地震支援行動の報告
(淀川勤労者厚生協会職員より)

【電車】阪急十三駅 西出口より北へ徒歩10分
【バス】大阪シティバス 野中南2丁目 下車すぐ

災害に備えて、今からできる準備を始めよう!

みんなで守りみんなで助かる防災を

淀協80プラン

認知症になっても(4)

アルツハイマー型認知症

前回は、認知症症状チェックについて書きました。地域で認知症の学習会をさせて頂くと、「認知症チェック」と「認知症予防」については毎回盛り上がります。

これは予防をすることで安心感が増し、不安やストレスが軽減されること、健康管理をすることで自己効力感(自分が有能であると感じる感覚)が高まり、自己肯定感、自尊心の向上に繋がるそうです。

今回は、アルツハイマー型認知症について書かせていただきます。
認知症の中でも7割程度を占めるのが、アルツハイマー型認知症です。アルツハイマー型認知症の原因については、まだハッキリ解明されていないのですが、生活スタイルの変化や環境的要因からだと言われています。
例えば、今まで日課として行っていたことを急に止めることで症状がでたり、喫煙や過度な飲酒、長年にわたる高血圧等もリスク要因と言われています。

主な症状としては、直近の物忘れ(記憶障害)や人の認識、時間や日付感覚、季節感がなくなる(見当識障害)といわれています。「卵を買ったことを忘れて何回も卵を買ってしまう」「夏なのにコートを着ている」等がこれに当てはまります。
こういった症状は生活のしづらさに直結してしまうので、日常生活困難と総称して言われることもあります。進行を穏やかにする薬等がありますが、残念ながら完全に症状を改善する薬はありません。

私たちが介護職として実践していることの一つに、「相手を否定しない」ことがあります。認知症を患っていても、普段通り生活をされています。それを第三者に否定されると、腹も立ちますし、反論もします。生活のずれが認知症を患う方の生活のしづらさになっているのです。その人が、その人らしく暮らせるお手伝い、それが私たち介護職にとっては一番の薬だと考えています。

とは言っても、実際に家で介護をされている方からの「24時間みているのにそんなことできない」との意見もごもっともだと思います。

次回の記事では、どう対応すればいいのかを書かせて頂こうと思います。

介護老人保健施設 よどの里 江﨑

核のない世界へ 平和な世界へ

核兵器禁止条約発効を記念して取り組んでいる風船メッセージ行動 本年も開催 (写真は2024年)

皆さんにとって、昨年2024年はどんな年だったでしょうか。
世界では、各地で戦争が終わらない。フェイクで選挙が左右される。失望感が強い毎日です。

日本被団協がノーベル平和賞

一方で、日本被団協がノーベル平和賞。
日本被団協は、47都道府県のそれぞれにある被爆者(広島・長崎で原爆の被害を受けた被害者の生存者)の団体の協議会で、被爆者の唯一の全国組織です。

私は、2007年より、原爆症裁判(NHK朝ドラの「虎に翼」でとりあげられた原爆裁判ではなく、現在の原爆症認定制度の不認定処分の取り消しを求めた集団訴訟)に関係するようになって、生の被爆者の体験を色々聞きました。戦後の被爆者は、沈黙を強いられ、日本政府からも見放され、孤独と病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。
被団協として取り組んできた世界での被爆証言が、国連での核兵器禁止条約採択(2017年)に寄与しました。

淀協では2人の被爆医師が活動

淀協の歴史では、2人の被爆医師の存在が光っています。
一人は此花診療所の元所長の小林栄一先生。
長崎医専で直接被曝されています。此花博愛会編纂の「被爆者医療ひとすじに」に詳しく記載されています。のべ5000人の被爆者を診察されました。TVでもドキュメンタリーが放送されました。

もう一人が、田尻俊一郎先生で、8月9日は、体調が悪く、長崎医専は休まれ、郷里にいて、直接被爆はされていませんが、原爆のことを聞かれ、長崎に戻り入市被曝。自分だけ助かった。この思いが田尻先生の過労死などの社会活動の原点かと思います。

また、西淀病院の名誉院長の林喜彦先生は、大阪平和委員会会長をされ、その流れで、西淀川平和委員会が現在も活動しています。戦争あかん実行委員会の一員として、毎月19日のデモに取り組んでいます。隣の韓国の市民運動まではいきませんが継続してやっています。

軍事オタクの石破さんが、トランプ言いなりに軍拡を進めそうな日本。台湾有事という嘘に騙されず、政府に対して、自らの生活を守るため、平和を守るため、声を大きく上げていきましょう。

西淀川平和委員会会長
姫島診療所所長 穐久英明

マイナ保険証がなくても大丈夫!

マイナ保険証がなくても大丈夫!
安心して受診してください!

(公財)淀川勤労者厚生協会の事業所では、希望される方にはマイナ保険証の利用もできますが、2024年12月2日以降も今まで通り従来の保険証は使用できます。また、その後は「資格確認書」が発行されます。安心して受診してください。

※「資格確認書」は、医療機関や薬局を受診する際に提示することで、保険診療を受けることができる書類です。

◇ 国民健康保険の場合

新しい保険証が本年10月に発行されます。(期限2025年10月31日)それ以降もマイナ保険証の手続きをしていない人には、自動的に資格確認書が発行されます。

◇ 後期高齢者の場合

現在発行されている保険証の期限は、2025年7月31日までとなっています。それ以降もマイナ保険証の手続きをしていない人には、自動的に資格確認書が発行されます。

◇ その他の保険者

今後1年間、現在の保険証が使用できます。マイナ保険証の手続きをしていない人には、自動的に資格確認書が発行されます。(保険者によって対応が異なることも考えられますのでご確認ください)

今までどおり保険証で受診できます(PDF)|民医連

現行の健康保険証を残してください
健康保険証をなくさないで!

平和で自分らしく生きられる世界をめざして

座談会2025年

戦後80年、平和で自分らしく生きられる世界をめざして

2025年、日本は終戦から80年を迎えます。節目の年に、淀協や西淀川・淀川健康友の会とともに戦後を歩んできた先輩に学び、戦争のない世界、地域の健康づくりに取り組みたいと、和田美頭子さんと淀協の職員3人で座談会を開きました。


【和田美頭子さんのご紹介】
1927年香川県高松市生まれ。1937年に此花区伝法に移り住み、1945年の大阪大空襲を経験。疎開した香川県でも空襲を経験。戦後、大阪に戻ってのち夫の故和田重種さんとともに柏花診療所の設立や、健康友の会などで長年活動。1990年代後半より、『健康の友』編集委員を務める。



司会を務める淀協理事の湊隆介です。
淀川区内の健康友の会の活動に携わっています。

前川
姫島診療所で事務長を務めている前川蛍です。

齋藤
看護師をしています齋藤千治です。西淀病院に11年勤め、今は訪問看護ステーションコスモスで働いています。

和田
齋藤さんのお父さんとうちの夫は交流がありました。今度は私が齋藤さんに訪問看護でお世話になるかも(笑)

戦争の恐ろしさ、悲惨さを次に伝えることが大切

 


前川さん、齋藤さん、『大阪民主新報』の連載、「『戦争への道』許さない」に掲載された和田さんの体験を読んでの感想をお願いします。

前川
漫画で見たアメリカを思い出し「摩天楼の国に勝てるのか」と思った和田さん。日本が大国アメリカに勝つのは不可能で、多くの犠牲を出す前に止めるべきだった。

しかし、当時「戦争反対」の発言は許されず、聖戦だと多くの国民が信じていました。恐ろしい時代です。戦後、日本は憲法で戦争を放棄しましたが、政府を見ていると戦争が再び近づいていると感じます。

記事では和田さんの夫さんが慰安所の様子を話され、「人間がすることではない」と言いました。戦争は人間の正常な感覚を奪います。私も韓国のナヌムの家で、日本が韓国にしたことを学び、従軍慰安婦だった少女たちの証言や遺品を目にし戦争の愚かさを感じました。過ちを繰り返さないため、私たちが次に伝えることが大切です。

和田

和田 美頭子さん

戦争を知らない人が、人から聞いて想像する。でも、実は本当のところは体験しないと分からない。爆撃機が頭の上をかすめて飛んだ感覚は、体験しないと分からない。

一心不乱に逃げたが、飛行機が飛ぶ方に逃げるの。逃げるための冷静さすらなくす。「本当の戦争」を決して体験してほしくないと思います。

齋藤
日本がアジアを侵略しアメリカと戦争したことは知っています。戦争は残忍で、絶対にいけないと思います。しかし現代日本で生活していると、遠い国の昔の出来事のように感じられ、戦争への危機感がどんどん薄れるように感じます。特に現在の日本政府は過去の戦争を美化し、加害の歴史について極力触れないようにし、それどころか無かったことにするような歴史修正を行おうとしています。

戦争を経験した方から、身近な地域での戦争の話を聞ける事は本当に貴重な機会です。戦争の恐ろしさや悲しさがリアルに伝わります。戦争経験の世代がどんどん少なくなり、戦争の恐ろしさが忘れさられ、平和のありがたみが感じられなくなっていると思います。

和田
日露戦争の時に馬を徴発された母の話を聞きました。馬が民間からも引っ張られていくのね。戦争から帰った傷痍軍人が飴を売る様子も見ました。「お国のために」と送り出したのにこの仕打ちと思いました。兄は遺骨も返ってきていない。高松での1945年7月4日の空襲では親戚も行方がわからなくなった。水の中なら助かると思った方々が、ロータリーの水の中や風呂桶の中で亡くなったわね。

初心にかえって医療を。つながりがとても大事

 

湊 隆介

私は、淀協の歩みについてのお話を読み、労働者や住民の権利や健康が守られていなかった頃から、西淀病院と淀協が住民の皆さんと手を携え地域医療を支え、その向上に力を尽くしてきたことがわかりました。

そして、地域の健康の中心に「健康友の会」と『健康の友』があったこと、あとを継ぐ世代として背筋が伸びる思いです。同時に淀協も健康友の会も大きくなり、さらに大きく育てる意識や努力が弱くなっていると反省もしています。主体者意識を持ち、地域の健康づくりと西淀病院などの建替を進めたいと決意を新たにしています。

ところで、和田さんは淀協や健康友の会の活動の中で、思い出深い出来事はありますか?

和田
案外ちゃらんぽらんで。みんなと相談した結果、物事が運んでいった。個性の強い方が多くて、その人たちが仕切っていて、そこについていった感じね。個性の強いリーダーがいて、お寿司とか作るとなると10人あまり集まった。柏花のお寿司は有名だったわね。そしてお寿司のお金を積み立てて、たまり場を作ったの。


和田さんから現在の淀協や健康友の会にメッセージをいただけますか?

和田
初心に帰り、民医連綱領に基づいて医療をやってほしい。そして健康友の会の活動では、つながりがとても大事。会員の中のつながりだけではなく、地域との繋がりが大事です。

学習し、考え、声を上げ変化をつくっていこう

 


2025年は戦後80年。各自の抱負を。

前川

前川 蛍

自分らしく生きるには平和な社会が必要。しかし世界では戦争が続き多くの犠牲が出ています。日本でも軍事に多額のお金をつぎ込むより、多くの人が安心して生きられるためにお金を使って欲しい。

診療所で働き、困難を抱えている人と接する機会があります。困難な人に手を差し伸べる社会であれば、多くの人が生きやすいはず。誰もが自分らしく生きられる社会は黙っていても訪れません。声を上げ変化を求めることで、自分らしく生きることに繋げたい。

和田
投票に行かない人は、生活の苦しさをどうしたらいいのか分からないのかな。若い人は、スマホを見て紛らわせているのかな。そして年金は段々目減りしている。老後を暮らしていける年金になっていない。さらに万博のために税金が使われる一方で、介護保険料は上がり、社会保障はどんどん悪く。

齋藤

齋藤 千治

平和な今こそ、戦争の歴史を学習する機会が大切だと思います。学習し考える機会を増やすことで、ロシアのウクライナ侵略やイスラエル・ガザでの戦争について問題意識も高くなると思います。そして日本の軍事費倍増や憲法改定の動きにも反応できる、戦争センサーが身につくと思います。

そういった人が増えれば、戦争をSTOPさせる大きな力になると思います。意識も高くなると思います。そして日本の軍事費倍増や憲法改定の動きにも反応できる、戦争センサーが身につくと思います。そういった人が増えれば、戦争をSTOPさせる大きな力になると思います。

歴史を学び、戦争や平和について考えるには時間と余裕が必要です。日常の生活で精一杯だと考える余裕も無くなります。

長時間労働や低賃金、自己責任を押し付ける経済の在り方、多様性や個性を認めない政府の在り方を変えることは平和への道と地続きだと思います。
今年は、改めて戦争と平和を考える年にしたいと思います。

和田
気にかかることは沖縄での基地拡大。基地の拡大は人の命を守るというがそんなことはない。そして戦争はやってはいけない。第一、食料はどうするのか。島国で。輸入も輸出もできない。日本は農業もさっぱり。昨年夏の米不足、政府も対応できなかった。そして、先の戦争でしんどい思いをしたのは日本だけではない。お互いのために戦争してはいけない。


ありがとうございます。では、最後に和田さんの新年の抱負を。

和田
ありません。特に高齢になると1日1日の変化がある。時々思い出したことを手帳に書いたりはしていますけどね。


そうおっしゃらずにぜひ100歳を目指して…

和田
いや、堪忍して(笑)