みんなで作ってきた診療所、支部たまり場、「健康の友」…

柏花診療所ができた

 1948年ころ、化学工場で勤めていた夫が職場の薬品被害について林喜彦先生に相談したことをきっかけに西淀病院の患者になりました。そのころ、医療機関がなかった柏里・花川地域にも「診療所がほしい」という声が高まり、夫やご近所の有志が集まって資金を集め場所を確保して、1949年に「柏花診療所」ができました。

健康の友の編集委員として

レッドパージで会社を首になっていた夫は、健康友の会ができた時の代表世話人と「健康の友」の編集委員もしていました。私自身は66歳まで働いて家計を支え新婦人などの活動はやっていましたが、代表世話人や「健康の友」の編集委員をするようになったのは、26年前に夫が亡くなってからです。関西共同印刷の方にもいろいろアドバイスをもらい、編集委員のみなさんと楽しく意見を出し合ってやらせてもらいました。

支部たまり場もみんなで

2009年に柏花診療所が閉院になったことは残念ですが、淀協は事業所も増えて大きくなり心強いことだと思います。健康友の会の活動で、健康相談、日帰り旅行、健康まつり、高齢者の食事会、平和を語るつどい等々、みんなでいろいろと取り組んできたことで地域の人とつながりができました。柏花支部のたまり場を作るために、みんなで毎月お寿司を作って販売し資金を作ったことも楽しい思い出です。

井戸端会議をしましょう

ご近所も昔からの人は、施設に入ったり子どもさんの代になったり様変わりしています。私も96歳になり、足が弱くなって催しへの参加がしにくくなりましたが、幸い口は元気ですので井戸端会議ならできるかな、平和のことやくらしのことなど話したいことはたくさん。このごろ会っていない友だちやご近所さんにも声をかけたいですね。

和田 美頭子