お口の健康 第5回「お口の健康が老化予防につながる理由」

お口の健康について

元気な人は知っている、お口の健康が老化予防につながる理由

 身体が悪くなったから、口の中が悪くなったのではなくて、口の中が悪くなった後に、徐々に弱ってきた人が多いということを実感します。

肺炎で入退院を繰り返して亡くなった人たちの口の中は、歯がほとんどなかったり、口の中が汚れていたりして、噛み合わせが崩壊している人が多いのです。

このような口腔機能の低下は、歯の抜けているところがどんどん広がっていったからです。その前には、歯が1本、2本から数本抜けた段階です。さらに、その前は歯周病やむし歯でグラグラしたり咀嚼が困難だったりということです。

口の機能が低下したオーラル・フレイルの時点では、まだ体の状態はフレイルまで来ていないので、この時点で歯科治療によって口の機能を取り戻すことでフレイルへの移行を予防しましょう。歯周病やむし歯の治療をして、歯が抜けたまま放置せず入れ歯を入れるということです。

後は、滑舌の衰え、食べこぼし、わずかなむせ、噛めない食品が増えて嗜好が変化するなど、ささいな口の機能の衰えを軽視しない事です。こういう症状に気づいたら内科医院で栄養状態をチェックし、歯科を受診して相談しましょう。

口の衰えが身体の衰えと密接に関わっているので、医科との連携が非常に重要です。「フレイルの予防はオーラル・フレイルの予防から」と「いつでも、どこでも、だれでも」が受診できる環境を構築し守り通すことこそが、国民の健康寿命を達成する基盤です。

みんなとつながる楽しい オンライン健康体操

お家に居てもみんなとつながる「オンライン健康体操班会」が、今、トレンド上昇中です。なにそれ?とよく聞かれます。「『コンピュータ』や『スマホ』を使っての班会のこと」とお答えすると「え!そんなんムリや!」「私にはできひんわ!」などの声が返ってきますが、やってみると、すこぶる好評なんです。

ご高齢の方がコロナ感染症で、お家に閉じこもりがちになり、筋力が落ちたり、お話をする機会が減っていることに着目し、このままではいけない、フレイル予防に取り組もうと健康友の会とHPH委員会が一緒になって取り組んでいます。

奥園 理学療法士が、西淀病院から皆さんのご家庭に!中継会場に!画面越しに「皆さん聞こえますかぁ?」と呼びかけると「はぁ〜い」と元気な返事が返ってきます。テレビと違って、みんなでお話ができるのが魅力です。遠くは茨木市のお宅までつながっています。

お家でできる人はお家から参加。できない方は、地域の会場に集まって参加します。今年の4月から月1回(第4木曜日)開催しています。4回目の7月29日(木)は、お家から参加されている方が3人。3つの会場に12人が集まりました。

お家から参加されているMさん(野里2)は、「画面越しでもマスクなしで参加できるのがいいですね。皆さんの表情もよくわかるし、気兼ねなく大きな声でおしゃべりができます。リアルタイムで話せるのでドキドキしますね」と。一緒に参加している娘さんも「お母さんが元気に笑顔で体操している姿をみるとうれしくなります」と感想を語ってくれました。

早く、コロナ感染症が収束して、みんなで集まって、「健康づくり」ができることを願いつつ、コロナ禍でもできる「健康づくり」をすすめていきます。スタッフも試行錯誤をしながら頑張っていきます。これから、地域に会場を増やして、たくさんの方が参加できたらいいなと思います。皆さんも、ぜひ参加されませんか?

お家からできる方はお家から、元気になって、みんなでコロナを乗り越えましょう!

【問い合わせ】
西淀病院
06―6472―1141
組織課

いっしょに歩こう 御幣島地域編

難波八十島の名残を求めて
〜その名も御幣島、神代の昔から〜

八十島祭が行われた住吉神社跡

今回は御幣島支部の世話人のみなさん5人と御幣島・竹島地域を訪問しました。

御幣島地域は平安時代に八十島祭を行い、浄土真宗を再興した蓮如(れんにょ)上人、武内宿禰(たけのうちのすくね)(景行天皇から5代の天皇に仕え、300年生きたと伝説の人物)の墓があったり、その末裔の紀貞之(きのさだゆき)がお寺の建立に関わったなど有名な場所があります。今回は「住吉神社跡碑」と「浄土真宗本願寺派」の光明寺を訪れました。

まず、「住吉神社跡碑」を訪れました。この地にあった神社が明治42年(1909年)に、加島の香具波志(かぐはし)神社に合祀されました。昔はこの場所で八十島祭などにぎやかに行われていたのでしょう。

次に、光明寺に向かいました。この寺は浄土真宗本願寺派で、山号(さんごう)(※1)は幣帛山(へいはくさん)といいます。武内宿禰の子孫と称する紀貞之が本願寺の蓮如上人に帰依して嘉吉2年(1442年)に創建されたという由緒あるお寺です。

また、同じ境内に土佐日記などで有名な紀貫之(きのつらゆき)(武内宿禰の子孫)の歌碑「ふる雪に木々の梢をながむれば しろたえなりや みてくらのしま」の歌碑があります。
さらに、一休和尚(一休宗純1394〜1481禅僧)がたびたび泊まったと言われ、和尚の碑と自画賛の一軸(非公開)が残されています。

お墓の奥には、武内宿禰と子孫の紀定盛(きのさだもり)のとても古い墓があります。ご住職は「2基のお墓が立っていますが、どちらが宿禰でどちらが定盛のものかはわかりませんが、ロマンを大事にしてほしいです」とおっしゃっていました。

古い墓、どちらが宿禰かな

更にこの寺の本堂は、昭和2年に奥丹後の地震により倒壊し、昭和30年の仮本堂の竣工迄ご本尊は庫裡(くり)(※2)に移されていました。昭和42年「本堂の建立を」との議が檀信徒(だんしんと)(※3)の間に広がり、昭和44年末に本堂の竣工を見ることとなります。

このように地域でとても大事なお寺なのです。地域の皆さんにも知って頂き、お立ち寄りいただきたいです。
長く御幣島に住んで居ても「知らないことが多い」が参加者一同の実感でした。

※1 寺院の名前の上に付ける称号
※2 住職やその家族の住む場所
※3 檀家とはその寺にお墓を持っている家のことをいい、信徒とはそのお寺にお墓はないけれども、葬儀、法事などをおまかせする人のことをいっていることが多いようです。

住吉神社跡 西淀川区御幣島4-14-9

光明寺 西淀川区御幣島4-14-12