にしよど無料塾-塾生・見守りボランティア募集

塾生募集中です。
対象は小学1~6年生、中学1~3年生

実施日:毎週金曜日
(祝祭日・第5金曜はお休み)

小学生:午後5時半~6時半
中学生:午後5時半~7時

■会 場:あおぞらビル3階会議室
(歌島橋交差点南東側。国道2号線沿い)

■費 用:授業料は無料。但し交通傷害保険代50円

■内 容:
小学生:国語・算数・宿題
中学生:英語・数学
※宿題を中心にドリル・参考書等

■ボランティア募集:
子どもたちの宿題・自習の見守り、お手伝い

■申 込:
当日会場受付
電話での申込・問合せ:06-6472-6453
(平日9時~16時、土曜日9時~12時)

会場:大阪市西淀川区千船1-1-1 あおぞらビル3階会議室

にしよど無料塾チラシ

いっしょに歩こう「佃地域編」(1)

NHK大河ドラマ「どうする家康」で今脚光を浴びている徳川家康、今回からは、その家康とゆかりのある佃地域にスポットをあてます。2021年11月号(機関紙「健康の友」第481号)で一度、佃地域を取材しましたが、今回は、さらに深掘りします。

地名の由来について

西淀川区には、姫島、竹島、御幣島、出来島、百島、中島など「島」という地名が非常に多くあります。これは、古代の大阪湾に淀川の大量の土砂が流れ込んでできた砂洲が大小の島々となり、「難波八十島」と呼ばれた時代の名残です。佃島も「難波八十島」の一つで昔、「田蓑島」と呼ばれていました。『西淀川区史』(発行:西淀川区制七十周年記念事業実行委員会 1996年3月)によれば、「貞観年間(859〜876年)に佃村と改め、『田蓑庄』とも呼ばれたことに由来する」とあります。

また、『佃九十年史』(発行:大阪市立佃小学校 1964年2月)では、「東京の佃島住吉大明神の縁起書の中に、徳川家康公がこの島に来て漁業専門の漁師達に『漁業の合い間に農業も営むよう、またこの島の名称も今から佃村と呼びなさい』といわれたと書いてある」とあります。佃地域の言い伝えでも、「天正年間(1573〜1592年)に佃を訪れた家康が『漁業も大事だが、人はまず田で働け』と村民に言ったことから、にんべんに田をつけた『佃』に村の名前を改めた」とのことです。この説が正しければ、佃の名付け親は家康ということになりますね。

次号からは、田蓑神社(家康を祀る東照宮もある)などを佃支部のみなさんと取材していきますのでご期待ください。
(つづく)

ついに、たまり場が誕生!【佃支部】

暖かな春の陽気と共に、新年度が始まりました。コロナ感染も少し落ち着き健康友の会の活動も、感染対策をしながら慎重にスタートしています。そこで、4月号より、西淀川・淀川健康友の会の支部の活動を紹介していきます。

まずは佃支部をご紹介します。佃支部はこの春支部の淀川勤労者厚生協会健康増進センターとして、支部活動の拠点として佃3丁目にセンター(以後たまり場。名称は現在募集中)が出来ました。

佃地域は、以前は西淀病院支部(現西淀うちの支部)として活動していましたが、2007年3月に新たな支部として佃支部が結成されました。淀協の診療所や事業所のない地域ですが、現在1100余世帯の会員を擁しています。2022年度の支部目標も、もう一息で達成する勢いで頑張っています(2023年3月10日時点)。佃支部は長らくたまり場がありませんでしたが、この度佃3丁目の物件をご厚意で貸して頂き、ついにたまり場が誕生することになりました。昨年11月の佃食料無料市場実施時にも貸して頂いた場所です。

今後、たまり場で様々なサークル活動やイベントを行えるよう準備を進めていきます。たまり場の前にある子ども食堂とのコラボ企画も検討されています。先の世話人会では、今まで佃コーポで行ってきたスクエアステップをはじめ、映画や落語上映会、医療・介護に関する講演、マルシェ開催など新しい企画のアイデアも出されました。近日、たまり場の名称も決定する予定です。佃支部長はじめ、支部世話人さんたちも新しいたまり場への期待に胸を膨らませています。

さらに佃地域に根差した支部となるため、新たに動き出した佃支部の今後にご期待ください。

大阪市西淀川区佃3-17-27(佐々木商会看板あり)

こんにちは北山良三です(5)

「西淀川の宝」と言われている大野川緑陰道路。その成り立ちをご存じでしょうか?

戦後、大野川はヘドロの川となり悪臭を放ち、周辺住民から苦情が多く寄せられていました。1968年、大阪市は大野川を埋め立てて高速道路にする計画を発表、これに住民は猛反対。大阪市は伊丹空港への燃料パイプラインの建設を持ち出しましたが、これも住民の反対で断念。当時、市会議員だったくつぬぎタケ子医師(故人・元西淀病院名誉院長・元日本共産党参議院議員)は住民や町会の方と一緒に2年近くも運動を続けた結果、「緑陰道路計画」が実現したのでした。

歌島の八丁大橋跡から百島まで全長3.8㎞の全線が完成したのが1970年、その後、50年以上たって、今13万本を超す樹木は一段と生い茂り、朝夕たくさんのウォーキングやジョギングを楽しむ人々、こども連れの人々の憩いの場となっています。私は区民の声と運動で、このように区民から愛され将来に残せる財産となった歴史の事実に誇りを感じています。

川柳入門(1)感じたことを17文字に

感じたことを17文字に

あなたが日頃思っていること、感じていることを川柳で表現してみませんか?川柳は決して難しいものではありません。今月から4回連続して、川柳を詠む楽しさをシェアしたいと思います。

川柳は、5・7・5の17文字で詠う短い詩です。俳句も同じように17文字の詩ですが、対象は主に四季の自然であり、季節を表す「季語」を含まなければなりません。これに対し川柳はあなたの喜怒哀楽、あなたが感じた事を17文字の制約の中で詠えばいいのです。
毎月発行されている「健康の友」の4ページ目に川柳欄があります。特に話題を限定せずに思ったこと、感じたことを詠うのが「自由吟」といいますが、範囲が広すぎるので毎月題目を決めて詠んでもらっています。

ある時は「ついに」という題目で、茂夫さんは「定年です黙って名刺ゴミ箱に」と詠みました。ついに定年の日を迎え、得意先への挨拶を済ませ、引き継ぐ書類や文房具を整理し、最後に要らなくなった名刺をどさっとごみ箱へ捨てました、という人生の淋しさをしみじみと詠っています。

「我慢」という題目では、富子さんが「食事抜きやせてもすぐにリバウンド」と詠っています。何とか痩せようと御飯も軽く一杯にして、好きだったケーキも食べず、やっと体重を落としたのに、安心して食べたら元の木阿弥になりましたとのこと。

加山 勝久(健康の友川柳選者)