お口の健康 第2回「歯を失うと、転倒リスクが高くなる?」

お口の健康について

高齢者において「噛み合わせ」と転倒の関係はどうでしょうか?図は、認知症高齢者の噛み合わせの有無と転倒回数です。奥歯がなくて噛み合わせが出来ない人は1年間の転倒回数が多く、自分の歯でしっかり噛み合わせが出来る人は、転倒回数が少ないという結果です。

寝たきりになる原因は脳卒中が一番多く、二番目が転倒による骨折です。それで歩けなくなって、そのまま寝たきりになるというパターンが多いのです。左右の奥歯でしっかりと噛める人は転倒が少なく、寝たきりになりにくいと思われます。

「噛むこと」、つまり咀嚼中は大量の感覚情報が脳に流れ込んでいます。脳はそれにもとづいて指令を出すので、常に働き続けでいます。「噛む」と脳が活発に働くということが言えるわけです。あれこれ考えなくても「ただ噛むだけ」で脳が活発に動いてくれる。脳は働らかなったら衰え、働かせることによって維持できるのです。

「歯が抜けずに残っている」人は、定期的なクリーニングを継続して受けている人です。クリーニングを行った歯は、歯磨きが非常にやりやすくなり、虫歯や歯周病の進行を抑えることができます。口の中の疾患も早期に見つけてもらえ素早い対応が可能になります。3か月に1度くらいの割合でクリーニングのために歯科受診をしている人は、歯が抜けにくいということになります。

いっしょに歩こう(野里・柏里編)

コロナ禍で「友達に会わなくなってしまった」とか「子どもから家をあまり出ないで」と言われているとかで、行動範囲がせばまり「楽しみが何もなくなってきた」と思っておられる人も増えています。

そんな中で、一人でも西淀川・淀川を再発見する取り組みをしてみようと、これまで3面に載せていた「いっしょに歩こう 西淀川・淀川のこの地・この史跡」で、今回は明治時代に旧中津川が流れていた野里・柏里地域を訪問しました。

今回のルートマップです。

知ってますか?2つの霊験あらたかな北向地蔵があるのを(B)(C)

「野里の渡し」左岸の跡はどこ?(D)

旧中津川の右岸跡と左岸跡が残っている(E)(G)

淀川の向こう側と西成大橋でつながっていた(F)

このようなコースが西淀川・淀川にいくつもあります。コロナの影響が小さくなって自由に外へ出られるようになれば、みなさんも歩いてみてはいかがですか。

淀川の向こう側と西成大橋でつながっていた

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(F) 鼻川神社・西成大橋親柱(おやばしら)の碑

社伝によれば神じん功ぐう皇后が茨木県の鹿島に行く際に立ち寄り、付近の住民たちが「柏の葉」に載せた餅を献上しました。皇后は当地が無名であると聞いて、川の対岸に突出した「鼻」のような地形であったので地名を「はなかわ」としました。
また1909年(明治42年)に新淀川が完成しましたが、その際に架けられたのが西成大橋で、「親おや柱ばしらの碑」が鼻川神社にあります。現在の梅田街道に通じ、梅田方面から西淀川区に入る玄関口でもありました。淀川の向こう側にある八坂神社にも「西成大橋の親柱(おやばしら)の碑」があります。

旧中津川の右岸跡と左岸跡が残っている

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(E) 野里住吉神社・旧中津川右岸堤防の跡

野里住吉神社の「一夜官女祭」は、4月号に詳しく掲載しましたのでご覧ください。この神社の東側が少し小高くなっていますが、旧中津川右岸の跡になっています。

(G)旧中津川左岸の堤防跡とクロガネモチ

柏里一丁目のこの場所は1896年(明治29年)〜1910年(明治43年)の淀川改修工事によって埋め立てられた旧中津川左岸堤防の位置になります。堤防に自生したクロガネモチ(2003年に「緑の遺産」として大阪市保存樹に指定)も生き残っています。

「野里の渡し」左岸の跡はどこ?

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(D)槲(かしわ)の橋跡、野里の渡し跡

新淀川改修以前の中津川はこの付近を流れ「野里の渡し」が置かれていて最初は渡し船が出ていました。1876年(明治9年)には「槲(かしわ)の橋」という有料の木橋が架けられ、この橋は中津川が埋め立てられる1906年(明治39年)ころまであったそうです。
なお「野里の渡し」の左岸跡は、柏里小学校の北東あたりにあったと言われていますが、実際は分からなくなっています。