75歳以上の医療費窓口負担2倍化

今後すべての高齢者へ負担増も

政府は、医療機関の窓口で支払う自己負担額を1割から2割へ引き上げる仕組みについて、「2022年度後半」としていた開始時期を、2022年10月1日とする方向で検討に入りました。

現時点では、窓口負担2倍化の対象は年齢は75歳以上、年収200万円以上〈単身〉、320万円以上(複数者)が条件となっていますが、政令でその範囲を拡大すれば、今後、全ての高齢者への負担が増える可能性があります。

なんだって‼現役世代の負担減は
「たったの月額30円程度だって」

就労収入のない、社会的弱者とされる後期高齢者の「いのち」に直結する医療費窓口負担を2倍化するなど、血の通った「政権を握っている者」のやることではないと思います。まして、現役世代の負担軽減は月額30円程度にとどまり、「政府の説明はまやかしである」との指摘に対し、まともに答弁できないままに法案を可決・成立させることは、議会制民主主義への冒涜としか言いようがありません。

すごいな〜!全国で中止めざす多彩な取り組みが

75歳以上医療費2割化に反対する取り組みでは、「神奈川や山梨、滋賀、広島ではアンケート結果をまとめて記者発表し世論づくりを強め、それらをもとに地元選出の国会議員への要請」「岡山では地元選出の野党議員にZoomで要請し、2割化反対の立場で一致していることを確認」「徳島でとりくんだ団体署名には100を超える市民団体から切実な声が集まる」など、民医連や共同組織の仲間が各地で奮闘しました。法案可決後も、地域で「今でも医療費の窓口負担が重い」「2割になったら受診を控えざるを得ない」「これ以上の負担増はやめてほしい」の声が、ますます大きくなっています。

新しい署名など、中止の世論を広げるとりくみを広げよう‼

私たちも、75歳以上医療費窓口2倍化の中止、医療費負担減免等の世論を拡げるために、

  • 「75歳以上窓口2割化を実施させない」ことを求める新たな署名運動
  • 医療費自己負担を引き上げなくても「財源は確保できること」等、税負担と社会保障について学ぶ。
  • 地域で、医療費負担が心配で受診を諦めたり、手遅れになった人がいないのか等、実態・事例把握に努め、医療費や保険料負担減免・軽減等を行政に働きかける。
  • 大阪市、大阪府に対し、国民健康保険料(税)減免実施を周知・徹底と、保険料統一や一般会計からの繰り入れ中止の凍結、国庫負担増を発信すること等を求める。
  • 地域の医療、介護を守るため、地域の中で運動の連携・共同を進める。

等の取り組みを進め、夏に行われる参議院選挙で、憲法を生かしいのちとくらしを最優先にする政治の実現で、「安心して住みつづけられるまちづくり」を進めていきましょう。

コロナ禍のくらしを助けたフードバンク

地域での「連帯・協同」を更に強めていこう!

公益財団法人 淀川勤労者厚生協会 副理事長
西淀川フードバンク共同代表
長瀬 文雄

大変な世の中、今、「私たちになにかできることないやろか」

2年余に及ぶコロナウイルス感染症の蔓延は、私たちの暮らす社会のあり方を大きく変えました。コロナによる廃業、失業、倒産、人や社会との接触が絶たれたことによる孤立や孤独の増大、健康悪化が表出しました。病院や施設では家族との面会もできず、田舎の親にすら会えない状況が続きました。

こうした中、象徴的な出来事が一昨年末に大阪で相次いで起こりました。都会の真ん中で誰にも助けを求められず60代の母親と40代の娘が餓死し、胃の中にはなにもなく所持金も30円のみ。八尾、高石でも同様の事件が相次ぎました。

〝こんな人が私たちの周りにもいるんちゃうやろか〞〝私たちになんかできることないやろか〞そんな思いから始まったのが「西淀川フードバンク」です。

どうぞ、これ持って行って下さいね

区内のさまざまな団体も大歓迎!

第1回開催にむけ連合町会や社会福祉協議会、こども食堂関係者、外国人支援団体などを訪ね懇談しました。御幣島の西栄寺住職からは全面的に協力の申し出を受け会場の提供もいただきました。区内の企業や団体、個人にも趣旨を伝える中でカンパや物資の提供もいただきました。出来島では外国人支援に取り組んでいる団体からも、困っている子どもの世帯にぜひ広げたいと大歓迎されました。

フードバンクを通じ新たな連帯やつながりが

2021年1月28日を皮切りに始まった西淀川フードバンクはこれまで5回、のべ2千人を超える来場者がありました。この中で、住之江区からこられた男性は「コロナで失業し所持金も底をつき働きたいが仕事がない。お世話になるばかりでは申し訳ない」とボランテイアとして参加されました。来場者の多くは、もともと生活基盤がぜい弱なところにコロナ禍が直撃して一層困難に陥った人たちです。

また、常設会場となっている「生活と健康を守る会」と「健康友の会柏花センター」には、「人づてに聞いた」「ホームページを見た」と毎日来場者があり、生活に行き詰まっている方がこられ、無料低額診療や生活保護にもつなげています。

医師も基本セット渡しをやりました

この取り組みを通じて多くの団体、企業、組織、個人との連帯やつながりが生まれ、医師、弁護士ら専門家と自主的に参加していただくボランテイアの善意の力も感じました。

ランドセルや文房具など食べ物以外のものも要求に

地域の身近な人に声をかけようと健康友の会各支部が中心となって地域毎のフードバンクも始まり、これまでに5支部で約250人が来場されました。参加した人の多くはこれまで社会的な支援が届かず、生活に困窮され、孤立されていた方々です。

また、10月のフードバンクに提供されたランドセル24個のうち当日18個が引き取られ、文房具も沢山もって帰られました。写真に写った子どもの笑顔が忘れられません。さらに子ども用おむつや生理用品の要望が強いのも特徴的でした。

文房具やランドセルもどうぞ!

「連帯の心を届ける」取り組みを、更に強めよう!

私たちの取り組みは、困っている人に直接モノを届けていますが、困った時には誰だって〝助けて〞と言っていいんだよという〝連帯の心〞を届ける活動なのだと思っています。

「誰もが安心して住みつづけられるまちづくり」は1998年に提唱した民医連共同組織連絡会の一貫したスローガンで、この取り組みがその実践の一つだと思っています。

自己責任が声高に強調され、孤立・分断の社会にあって「連帯・協同」の取り組みがますます光輝いています。社会保障としての「公助」を求める運動とともに、地域になくてはならない組織として、淀協、健康友の会の役割はますます重要です。今年を「連帯・協同・社会変革」の年として大きく飛躍しましょう。

核兵器禁止条約発効1周年を記念した取り組みを成功させよう

みんなの平和への願いを高く・広く広げていきましょう!

核兵器禁止条約発効1周年記念
「世界へ平和メッセージを送ろう」

風船行動
日時:1月22日(土)午後1時30分~2時
会場:北之町公園(西淀川区歌島3―7)

2022年1月22日(土)で核兵器禁止条約が発効して1周年を迎えます。今、この条約に批准した国は57か国です。しかし、日本政府は核大国のアメリカに同調し条約の批准に背を向けています。

西淀川・淀川健康友の会は「戦争はあかん西淀川実行委員会」の「風船飛ばし」企画に参加します。会員のみなさんもご近所の方と一緒にメッセージを書いていただいて、「風船飛ばし」企画に参加しましょう!

第6回西淀川フードバンク・食料無料市場

第6回西淀川フードバンク・食料無料市場

第6回西淀川フードバンク・食料無料市場(PDF)

日時:12月29日(水)11:30~13:30
    (品物がなくなり次第、終了します。)

場所:西栄寺
   大阪市西淀川区御幣島1-6-17
※駐車場はありません。

あたたかい ごはんの炊き出しがあります。

法律相談・健康相談・生活相談もあります。

主催:西淀川フードバンク実行委員会
(西淀川区社会保障推進協議会)
tel:06-6473-9914 / 06-6476-4511 / 06-6472-6453

いっしょに歩こう 佃地域編

見市家資料館の入り口

佃の開発は困難を極める

今回は、佃地域を健康友の会佃支部長の梅崎さんと尋ねました。
最初に尋ねたのは、千舟駅のそばにある「見市家」です。15世紀半ばの寛正年間に紀氏、芥川氏、見市氏など17軒の者が協力してこの地の開発をはじめました。土地には大藪といわれる藪の根が四方に延びて困難を極めたようです。現在の見市家は別邸だそうですが、古文書や古地図など多くの歴史資料が保存されています。

残念ながらコロナ禍で資料館を見る事はできませんでしたが、見市家の方とお話をすることができ、「コロナが落ち着いてきたらぜひいらしてください」と約束して、「佃鍬入の地」の碑があるところに向かいました。ここには見市家の屋敷があったところで「藪やぶ床とこ」と呼ばれ、2000坪(6600平方メートル)の土地に米俵100俵を収納する米蔵があったそうです。

「あそ歩マップ」に載せて〜!

次に佃小学校に今年の6月に建てられた「大東亜戦争被爆者鎮魂之碑」を見に行きました。以前は左門橋の東側にあったのですが、この地にうつされ、新しく「あそ歩マップ」に載せられる場所になるかもしれません。

由緒ある田蓑神社へ

最後に田蓑神社にある「紀貫之の歌碑」「謡曲『芦刈』の碑」「佃漁民ゆかりの地の碑」を見に行きました。田蓑神社には、大阪府下で最も古いといわれる狛犬(元禄15年正月17日)が本殿垣内にあり、徳川家康没後の寛永8年(1631年)には東照宮が祀られています。紀貫之の歌碑は「雨により田蓑の島をけふゆけばなにはかくれぬものにぞあるける」という歌がのっています。

「佃漁民ゆかりの地」の碑

また神社は「芦刈ゆかりの地」となっています。「川辺の芦を刈りながら貧しさに耐え暮していた夫婦が、男は妻を京へやり、別れてくらすことにしました。しかし、お互いの事が忘れられず、謡曲『芦刈』では男と、難波へもどった女が歌を交わして、互いの気持ちを伝え、ともに京に向かう」ということになっています。

最後に徳川家康から命じられ江戸に向かった佃村の庄屋、森孫右衛門たちは江戸時代の正保元年(1644年)に隅田川河口の造成事業を行い、その土地にふるさとと同じ佃島と名付けたそうです。そして今でも東京の佃島との交流が続いており、神社の真ん中にある鳥居は寄付人が「東京都中央区佃 講元」となっています。