いっしょに歩こう「お花見スポット」

西淀川、淀川のお花見スポットを紹介します
~来年はぜひ一緒に歩きましょう~

十八条東公園(淀川区十八条1-8)

淀川区十八条にある「十八条下水処理場」を囲む散歩道には、桜並木がずらっと並んでいます。一斉に開花する桜を見に大勢の人々が訪れます。ベンチも多数設置されています。
ふれあい三国支部では、4月5日(土)、ファミリークリニックあいの職員と一緒にお花見を楽しみました。


花川公園(西淀川区柏里1-7-10)

健康友の会柏花センターすぐ近くの花川公園。普段から夕方は遊具で遊ぶ子どもたちでいっぱいです。この日は桜満開の下で写真をとる、入園・入学式帰りの親子づれでにぎわっていました。


姫島公園(西淀川区姫島4-14)

「やりなおし神社」として人気のスポットになっている姫嶋神社の隣にある公園です。毎年四月上旬には、同神社の春祭りとともに、満開の桜の下、花見を楽しむ人でにぎわいます。


大野川緑陰道路
(西淀川区歌島2丁目~百島2丁目)

西淀川区民の運動で作られた歩行者・自転車専用道路、四季を通じて区民の癒しの場所です。約3・9㎞の間に、お花見スポットが多数あります。この時期に通ると、歩きでも自転車でもまるで夢の中にいるようです。

いっしょに歩こう「阪急十三駅界隈」

阪急十三駅西口を出て、十三筋沿いに15分ほど歩くと、右手に真っ白な壁が特徴的な教会が見えてきます。社会福祉法人博愛社の敷地内に立つ聖贖主(せいあがないぬし)教会です。

博愛社はキリスト教の「隣人愛」の精神に則り1890年に設立され、現在は「児童養護」「幼児教育・保育」「高齢者」「特別支援」の4つの事業を展開する大阪を代表する社会福祉法人です。

白壁が美しい聖贖主教会

さて、聖贖主教会は1934年の室戸台風により初代の礼拝堂が倒壊したのちの1936年に、多数の名建築を残したヴォーリズの設計により完成しました。鉄筋コンクリート2階(塔屋は3階)という立派な建築で、2022年に有形文化財として登録されました。

この教会には、定例行事がある時以外は午前8時〜午後5時まで、誰でも自由に立ち入ることができます。

中に入ると十三筋の車の音がぐっと遠くなり、まるで別世界に来たような感覚にとらわれます。木製の床板の階段を上ると2階が礼拝堂です。正面には十字架に磔にされたイエスをかたどったステンドグラスがあり、左右には壁面の下から上まで使った、縦に細長いアーチ状の窓がいくつも並んでいます。3階は礼拝堂を上から見下ろす屋内バルコニーです。

この礼拝堂では、毎週日曜日9時から子どもたちの礼拝、10時半からは聖餐式が行われており、どなたでも自由に参加できるとのこと。
教会の小林聡牧師からは「神さまがいつも共におられること、そして特に困難な中に神様が共におられることをそっと心に留め、祈りの時をごいっしょしませんか」とお声掛けを頂きました。

暖かくなってくると、聖贖主教会は、よく手入れされた緑に囲まれます。特に緋寒桜がいち早く咲くとのことです。十三駅から少しのウォーキングを楽しみ、せわしない日常生活の心の洗濯をしに行かれてはどうでしょうか?

樋尻大橋って何でしょう?

ところで、教会のほど近くに田川東公園があり、その公園の北西側の入口に「樋尻大橋」という小さな石の碑が建っています。詳細をご存知の方、ぜひご連絡ください!

いっしょに歩こう「新大阪駅周辺」

10月1日、新大阪駅は開設60年を迎えました。淀川区のふれあい三国支部が拠点を置くファミリークリニックあい周辺では、区画整理事業が進行中ですが、60年前に開業した新大阪駅とその周辺も、この60年で急速にその街並みを変えました。

1961年に、旧国鉄が新大阪駅の位置を西中島付近と定めた時、特にその北西側には広大な農地が広がっていました(世話人さんのご親族のお話では、当時は蓮池があり、ザリガニ釣りをして遊んだそうです)。中島大水道と呼ばれる江戸時代に掘削された農業用水路がその流れをとどめていました。建物自体がまばらなエリアだったのです。

国土地理院の空撮地図(1945〜1950年)。中心の十字が現在の新大阪駅付近。北西側は広大な農地です。

現在、新大阪駅の周辺では、西中島7丁目、宮原1丁目付近が戦前からの集落としての名残をとどめており、比較的狭い路地に、光用寺さん(西中島7丁目・747年の創建ともいわれています)や重厚な門構えの邸宅(宮原1丁目)などがあり、往時をしのばせます。西中島7丁目には「さいの木神社」という小さなお社があり、ここには、中島大水道を江戸幕府の許可なく掘削した3人の庄屋(役人にとらえられる前に抗議の自害をしました)がまつられています。

光用寺(西中島7丁目)。戦時中に鐘を供出し、鐘楼に鐘はありません。

また、場所と建物の形態などは変わりましたが、北中島小学校はなんと150年前の1874年の開校。以来、多くの子どもたちを社会に送り出してきました。戦時中には、生徒の疎開が終わったのち校舎の一部が軍用資材の保管倉庫となっていたため、1945年6月7日に周辺集落とともに空襲被害に遭ったことも記録されています。

さて、新大阪駅の周辺は2022年度に国の都市再生緊急整備地域に指定されました。規制緩和のもと、街の姿はさらなる変貌を遂げようとしています。居住者、オフィスワーカー、専門学校の学生、旅行者などが混然一体となった街では、多くの自転車や車が行き交い決して歩行者に安全な街とはいえず、また案外緑や公園も少なく、さらに駅までの公共交通も十分とは言えません。人間が主役の街づくりへ、西淀川・淀川健康友の会の役割の発揮が求められる中、ファミリークリニックあいは、本年12月で開業10周年を迎えます。

いっしょに歩こう「淀川区分区50年」

淀川区分区50年

竹島加島支部、塚本支部、ふれあい三国支部の3支部と、淀協・ファルマの事業所(ファミリークリニックなごみ、ファミリークリニックあい、もえぎ薬局、あおぞら薬局三国店、訪問看護ステーションサテライトあい、ケアプランセンターあい)のある淀川区ですが、実は歴史はそこまで古くなく、発足したのは1974年。本年7月22日で50周年を迎えました。

では、淀川区発足まではどうだったのか?実は、現在の東淀川区と共に旧東淀川区を構成していたのでした。その名残で、今でも淀川区内に「東淀川税務署」「東淀川高校」「東淀川病院」など東淀川の名前を冠した施設がいくつもあります。

また、淀川区内の土地なのに東淀川区側で管理している場所や(画像①)、「東淀川区」の表示が残っている建屋(画像②)があります。この建屋は、戦後直後から三国で手造りこんにゃくの製造販売を続ける「狭川商店」(画像③)で、地域からは単に「こんにゃく屋さん」と呼ばれて親しまれています。(下の画像はクリックで拡大)

さらに、淀川区発足に合わせて町丁名の再編も実施され、例えば木川西5・6丁目の町名がなくなり、三国本町や西宮原の一部となりました。今でも、三国本町や西宮原に「木川」の名前を冠した市営住宅が建っているのはこのためです。

ちなみに、今年で45回目を数える「世なおし盆おどり」(今年は9月13日、14日)が開催される三国本町公園は、かつては自動車教習所だったそうです。地域で長年製材・材木商を営んでいた方が教えてくださいました。

ところで、淀川区は今年、平野区を抜いて大阪市で一番人口が多い行政区となりました。そんな淀川区で「地域まるごと健康づくり」の活動を更に進めるため「西淀川・淀川健康友の会淀川区ブロック」としての活動を開始しています。

第1弾は、9月21日午前10時半(開場10時15分)から淀川区民センター第一会議室で開催する「マイナ保険証」に関する学習会です。ぜひ、ご参加ください。

淀川区民センター

いっしょに歩こう「淀川区三国編」

戦争で移転した長教寺

西三国の住宅街にあります

今回は、淀川区西三国のファミリークリニックあい近くにある長教寺さんを、ふれあい三国支部世話人の前背戸由佳さんと訪ねました。阪急三国駅東口を出て、商店街を東に進み、スーパーの角を北に曲がると長教寺さんがあります。

長教寺の開基年代は不詳ですが、記録によると、1685年には現在の大阪駅前第2ビルあたりにお堂があったそうですが、1945年の大阪大空襲で灰燼に帰しました。出征していた先々代のご住職が復員されたのち、檀家の尽力もあり1952年に西三国の地に移転、その後1965年に本堂を再建し現在にいたります。ちなみに、本堂の中のご本尊と「お軸じく」は戦争末期に、茨木市に疎開しており難を逃れたそうです。

戦没者を弔う碑

このお寺で最も目を引くのは、その境内にある多くの個人碑と、「忠霊」と書かれたひときわ大きな石碑です。これらは、太平洋戦争で三国地域より出征し亡くなった方を弔うためのもので、個人碑の1つ1つに、お名前、戦死日、戦死場所、亡くなった時の年齢が記されています。
個人碑は130基あり143人の名前が記されています。そして忠霊碑では247人の方が合祀されています。

1つ1つの碑にお名前が

三国地域遺族会は、大阪市の遺族会よりも早く、1946年8月に結成されました。その後、先々代のご住職が協力され境内の一画を無償提供することになったそうです。

ひときわ目立つ「忠霊」の碑

本来、浄土真宗では国家の命令によって命を奪われた軍人のみを弔うという考え方はないそうですが、自らも出征した先々代が亡くなった方の悲嘆を思い、碑の建立に協力されたとのこと。三国地域遺族会は活発に活動されていましたが、高齢化の影響で2015年に解散。長教寺が永代供養を引き受けられ、今でも毎年8月15日に法要をあげられています。

想像することが大事

長教寺では、昨年9月末に西淀川・淀川健康友の会ふれあい三国支部主催の「平和を考えるつどい」を開かせていただきました。今回改めてご住職にお話をうかがうと「戦死された方にも苦悩があったと思う。口が裂けても『死にたくない』と言えなかった時代。心の中ではどのように思っておられたことか。想像することが大事」とお話しくださいました。

平和を考えるつどい

長教寺は、朝8時から午後5時まで開門されており、開門中は誰でもお参りできます。静かな住宅街の石碑の前で、戦争の悲惨さと平和の尊さを思いながらお参りされてはいかがでしょうか?