いっしょに歩こう「大和田城」

今回、読者の方から「史跡めぐりが大好きです」という声をいただきました。そこで、「健康の友」の5月号でご協力いただいた千北支部支部長 森脇保さんから寄せられた史跡めぐりの中から「大和田城」をご紹介します。

大和田城の歴史をたどる

大和田城は、大阪市西淀川区大和田4丁目から5丁目付近にあった平城です。現在の市営住宅周辺に位置していたとされています。

その始まりは1532年( 天文元年)。石山本願寺(大坂本願寺)が山科から移設された後、その支城として大和田の地に築かれた砦が起源と言われています。1536年(天文5年)の摂津細川軍との戦いの際には、すでに砦が存在していた記録が残されています。

その後、石山本願寺と織田信長軍との戦いを経て、1576年(天正4年)には天守を備えた城へと改修されました。
しかし、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣、翌年の大坂夏の陣では、大和田周辺は大きな被害を受けました。大和田城もこの頃まで存在していたと考えられています。しかし築城や廃城の正確な時期は分かっていません。

大和田城は、大和田の地に築かれた城です。大和田は京都と西国を結ぶ交通の要衝として栄え、軍事上も重要な役割を果たしていました。大和田城は今も地域の歴史を伝える貴重な史跡です。

段何気なく歩いている街にも、こうした歴史が息づいています。皆さんも地域の史跡を訪ねながら、街歩きを楽しんでみませんか。

一緒に歩こう「大阪イスラミックセンター」

興味津々大阪イスラミックセンター

今回、以前から気になっていました西淀川区中島にある施設、宗教法人 大阪イスラミックセンターへ千北支部支部長の森脇保さんと訪問しました。

最初は、事前のアポイントメントなしで訪れたため不在でしたが、礼拝に来ていた周りの方々がとても親切に対応してくださいました。日を改め、施設運営に携わっている最日伝裕子(モヒディーンゆうこ)さんとお会いすることができました。

裕子さんは日本人で、イスラム圏の女性が身につけるスカーフを着用されており、その姿がとてもお似合いで、笑顔も素敵な上に声もやわらかく、私たちにはとても心地よく聞こえてきました。

夫のモハメドカジャさんと職場で出会い、5人のお子様にも恵まれ大家族です。
裕子さんは、過去に健康診断をきっかけに病気が見つかり、治療を経て回復した経験をお持ちで定期健康診断の重要性を語ってくれました。

コロナ禍には医療機関の受診が難しくなりました。特に地域には留学生や技能実習生など経済的に厳しい立場の外国籍の方が多く、外国籍の方にとっては言語や費用の面、宗教や文化の違いに対する誤解や偏見も大きな課題であることを指摘されました。食事支援や生活相談、無料低額診療事業や健康相談の活用の需要が高まっているとも話されていました。

施設については、宗教法人として礼拝の場を提供されています。男女別の空間で日々の礼拝が行われている他、食事の提供や、地域交流の拠点としても機能されており、運営は、一部を除きボランティアで支えられています。

こうした状況を踏まえ医療や福祉、地域交流の取り組みを通じて相互理解を深め、誰もが安心して暮らせる地域づくりが必要ですねと語ってくれました。

まちづくり・健康増進部
新 記者

いっしょに歩こう「樋尻大橋・長楽寺案内碑」

『健康の友』3月号の紙面上で、淀川区の田川東公園にある「樋尻大橋」の石碑について、由来をご存知の方はおられませんか? と呼びかけたところ、東淀川区にお住まいの会員のYさんが「北中島の歴史を探る会」にて話題にしてくださり、「会」の藤村さんがお調べくださいました。
今月は、その資料をもとにした「樋尻大橋」についてのお話からはじめます。

樋尻大橋

この田川東公園の北側では、1925年2月の着工で神津組合耕地整備事業に伴う農業水路が整備されました。そして、その水路にかかっていたのが「樋尻大橋」なのです。1931年や1935年の地図にも橋の名前が記されています。この橋はコンクリート製で、地元の方には自慢の橋だったのでしょう。「大橋」と名付けた心持が想像されます。

水路は1950~60年代には埋め立てられて道路となったものの、何らかの経緯で近所の田川東公園に橋の名を記した欄干だけが残されたということです。ちなみに実際の橋の位置は十三筋のすぐ東側であり、公園とは100mほど離れた位置にあったようです。

長楽寺案内碑

さて、この田川東公園の近くの道にも、また不思議な石碑が建っています。田川北1丁目7のY字路に建つ「長楽寺案内碑」という石碑です。周囲を見回してもお寺の気配はなし。どこにあるお寺の案内なのだろう…と思って調べると、三津屋南2―4―4にありました。その名もまさしく「長楽寺」。かつてはこの案
内碑を右斜め方向に進むと長楽寺だったのですが、1918年に北方貨物線が出来た影響で分断され、今はその道筋に踏切すらないため、大きく遠回りしないとたどり着けなくなってしまいました。

開創は645年と古く、長きにわたる荒廃ののち、慶長年間や江戸時代に復興されたものの、太平洋戦争で焼け落ちたそうです。長く続き、人々の心の拠り所となる寺社仏閣まで容赦なく破壊するのが戦争なのですね。

今年は太平洋戦争の終戦から80年です。この「一緒に歩こう」で紹介した、北野高校の西側壁面に残る機銃掃射の跡や、三国・長教寺の境内に並ぶ戦没者の個人碑、そして西中島の光用寺の「鐘のない鐘楼」など、淀川区内の戦争関連の史跡をめぐる、不戦の誓いを新たにしませんか?

いっしょに歩こう「お花見スポット」

西淀川、淀川のお花見スポットを紹介します
~来年はぜひ一緒に歩きましょう~

十八条東公園(淀川区十八条1-8)

淀川区十八条にある「十八条下水処理場」を囲む散歩道には、桜並木がずらっと並んでいます。一斉に開花する桜を見に大勢の人々が訪れます。ベンチも多数設置されています。
ふれあい三国支部では、4月5日(土)、ファミリークリニックあいの職員と一緒にお花見を楽しみました。


花川公園(西淀川区柏里1-7-10)

健康友の会柏花センターすぐ近くの花川公園。普段から夕方は遊具で遊ぶ子どもたちでいっぱいです。この日は桜満開の下で写真をとる、入園・入学式帰りの親子づれでにぎわっていました。


姫島公園(西淀川区姫島4-14)

「やりなおし神社」として人気のスポットになっている姫嶋神社の隣にある公園です。毎年四月上旬には、同神社の春祭りとともに、満開の桜の下、花見を楽しむ人でにぎわいます。


大野川緑陰道路
(西淀川区歌島2丁目~百島2丁目)

西淀川区民の運動で作られた歩行者・自転車専用道路、四季を通じて区民の癒しの場所です。約3・9㎞の間に、お花見スポットが多数あります。この時期に通ると、歩きでも自転車でもまるで夢の中にいるようです。

いっしょに歩こう「阪急十三駅界隈」

阪急十三駅西口を出て、十三筋沿いに15分ほど歩くと、右手に真っ白な壁が特徴的な教会が見えてきます。社会福祉法人博愛社の敷地内に立つ聖贖主(せいあがないぬし)教会です。

博愛社はキリスト教の「隣人愛」の精神に則り1890年に設立され、現在は「児童養護」「幼児教育・保育」「高齢者」「特別支援」の4つの事業を展開する大阪を代表する社会福祉法人です。

白壁が美しい聖贖主教会

さて、聖贖主教会は1934年の室戸台風により初代の礼拝堂が倒壊したのちの1936年に、多数の名建築を残したヴォーリズの設計により完成しました。鉄筋コンクリート2階(塔屋は3階)という立派な建築で、2022年に有形文化財として登録されました。

この教会には、定例行事がある時以外は午前8時〜午後5時まで、誰でも自由に立ち入ることができます。

中に入ると十三筋の車の音がぐっと遠くなり、まるで別世界に来たような感覚にとらわれます。木製の床板の階段を上ると2階が礼拝堂です。正面には十字架に磔にされたイエスをかたどったステンドグラスがあり、左右には壁面の下から上まで使った、縦に細長いアーチ状の窓がいくつも並んでいます。3階は礼拝堂を上から見下ろす屋内バルコニーです。

この礼拝堂では、毎週日曜日9時から子どもたちの礼拝、10時半からは聖餐式が行われており、どなたでも自由に参加できるとのこと。
教会の小林聡牧師からは「神さまがいつも共におられること、そして特に困難な中に神様が共におられることをそっと心に留め、祈りの時をごいっしょしませんか」とお声掛けを頂きました。

暖かくなってくると、聖贖主教会は、よく手入れされた緑に囲まれます。特に緋寒桜がいち早く咲くとのことです。十三駅から少しのウォーキングを楽しみ、せわしない日常生活の心の洗濯をしに行かれてはどうでしょうか?

樋尻大橋って何でしょう?

ところで、教会のほど近くに田川東公園があり、その公園の北西側の入口に「樋尻大橋」という小さな石の碑が建っています。詳細をご存知の方、ぜひご連絡ください!