こんにちは北山良三です(5)

「西淀川の宝」と言われている大野川緑陰道路。その成り立ちをご存じでしょうか?

戦後、大野川はヘドロの川となり悪臭を放ち、周辺住民から苦情が多く寄せられていました。1968年、大阪市は大野川を埋め立てて高速道路にする計画を発表、これに住民は猛反対。大阪市は伊丹空港への燃料パイプラインの建設を持ち出しましたが、これも住民の反対で断念。当時、市会議員だったくつぬぎタケ子医師(故人・元西淀病院名誉院長・元日本共産党参議院議員)は住民や町会の方と一緒に2年近くも運動を続けた結果、「緑陰道路計画」が実現したのでした。

歌島の八丁大橋跡から百島まで全長3.8㎞の全線が完成したのが1970年、その後、50年以上たって、今13万本を超す樹木は一段と生い茂り、朝夕たくさんのウォーキングやジョギングを楽しむ人々、こども連れの人々の憩いの場となっています。私は区民の声と運動で、このように区民から愛され将来に残せる財産となった歴史の事実に誇りを感じています。