判官(ほうがん)松の石碑

判官松伝承地を案内してくれた千北支部世話人の森脇保さん

今回から私が語る「西淀川・淀川のこの地・この史跡」を掲載します。第1回は、千北支部世話人の森脇保さんに大和田地域の「判官(ほうがん)松の石碑」を案内していただきました。

元暦2年(1185年)判官松の石碑は九郎判官義経は平家を四国に追い詰めた戦いで、大物の浦から軍船を出しましたが、突風にあおられて大和田の浜にうち寄せられました。その時に住吉大明神(大和田住吉神社)に航路の安全を祈願して一本の松の苗を手植えしたという話が残っています。しかし、その松は明治10年に雷火で焼失したそうです。

森脇さんといっしょに大和田住吉神社へ行き、判官松之跡や万葉の歌碑などを拝見し、宮司さんにもお会いしました。森脇さんが「判官松の史跡って、大和田住吉神社と大野せせらぎの里にも跡地があるが、どちらが本当の松があった場所なのか」と質問すると、宮司さんは「大野せせらぎの里が本当に松があった場所ですよ。ここの石碑は戦後に移設されたものです」とお話をされました。

そこで今度は大野せせらぎの里の横にある「判官松伝承地」に行きました。森脇さんは「ここが本当に松があった場所やて」「大和田住吉神社に行って良かった。どっちが本当に松のあった場所なのかわかったわ」と大変よろこんでいました。

大和田住吉神社

大野せせらぎの里