いっしょに歩こう「佃地域編」(5)

田蓑神社 御旅所跡碑

田蓑神社では、古来より今の阪神電車千船駅付近まで御旅が行われていました。(御旅所:神社の祭礼で神輿が巡行の途中で休憩・宿泊する場所)1865年の水害で神具一式が流されて御旅は中止に。現在元千船病院前に「田蓑神社御旅所跡碑」が建立されています。

田蓑神社
震災復興モニュメント
〜阪神・淡路大震災による被災と復興〜

阪神・淡路大震災により佃地域は、液状化現象やライフラインの一時寸断などにより大きな被害を受けました。田蓑神社も拝殿が傾き、鳥居や灯篭、参道等も大きな被害がありましたが2000年までに復興され、倒壊した標柱が復興のシンボルとして建立されました。長い歴史のなかで幾多の災害から復興してきた田蓑神社。佃のまちを見守り続けています。

被爆者鎮魂碑(佃小学校)

1945年6月26日の第5次大阪大空襲は佃地域を襲いました。左門殿川の堤防下の防空壕付近に爆弾が落下、防空壕に避難していた53人の人たちも命を落としました。なぜ佃が爆撃されたのか?近辺に戦艦の歯車を造っている機械部品工場があり、米軍はそれをターゲットにしたのではないか。53人の犠牲者はその巻き添えになったのだと思われます。

1985年、左門橋南詰の東側に犠牲となった住民の「被爆者鎮魂碑」が建立されましたが2019年の台風で修理不能に。2021年6月26日、地域の方々のご尽力により佃小学校敷地内に再建され、今年も慰霊祭が開催されたとのことです。: 参考「平和だより」(西淀川平和委員会発行 2023年3月号)・「毎日新聞」(2010・1・28付)

5回にわたって佃地域について取り上げてきました。歴史ある地域ですので、まだまだ話は尽きませんが、一旦ここで佃地域編を終わります。
読者投稿でたくさんの方からお手紙をいただき、励みにしています。一緒に取材同行してもらう方募集中です。次回からは、どこの地域を訪ねるかお楽しみに。

田蓑神社