いっしょに歩こう「佃地域編」(3)

佃村・大和田村の漁業

前回「佃の漁民と徳川家康」について掲載しました。佃村は、大和田村とともに江戸時代には漁業が盛んな地域でした。エブナ(ボラの幼魚)はその味が特に優れていたので、多くの寿司に使われていたようです。また、シラウオやイカナゴなどがよくとれたそうです。

神崎川 佃防災船着場佃村・大和田村の漁民は、徳川家康との特別な縁故から慶長十八年(1613年)に江戸(現在の東京)の浅草川と稲毛川の禁止区域を除く、全国のどこの川や海でも漁業する特権を得ていました。江戸時代、佃村・大和田村は、西成郡に属して・大野村(現西淀川区)・野田村(現福島区)・九條村(現西区)・難波村(現中央区)の5漁村の組合には属さず、漁にかかる税も払わなくてよいとされていました(運上銀の免除)。

このことから漁民たちは佃近海の河川にとどまらず、明石や瀬戸内海、土佐湾にまで出かけて漁をしていました。近隣では、尼崎・西宮・堺など他地域との漁業上の紛争もたびたび起りましたが、この特権は、幕末まで効力を発揮し、有利に裁かれたようです。これにより佃村は、一時期、佃千軒と言われるほどの大集落となり繁栄しました。

佃の漁民が現在の私たちに残してくれた食べ物で最も身近なものは、何といっても佃煮です。佃煮は、魚や昆布を醤油と砂糖で煮しめた食べ物です。佃の漁民が工夫を重ねて作り出したものです。そんな歴史を感じながら、今夜のお食事に味わってはいかがでしょうか。

神崎川 佃防災船着場