いっしょに歩こう「佃地域編」(1)

NHK大河ドラマ「どうする家康」で今脚光を浴びている徳川家康、今回からは、その家康とゆかりのある佃地域にスポットをあてます。2021年11月号(機関紙「健康の友」第481号)で一度、佃地域を取材しましたが、今回は、さらに深掘りします。

地名の由来について

西淀川区には、姫島、竹島、御幣島、出来島、百島、中島など「島」という地名が非常に多くあります。これは、古代の大阪湾に淀川の大量の土砂が流れ込んでできた砂洲が大小の島々となり、「難波八十島」と呼ばれた時代の名残です。佃島も「難波八十島」の一つで昔、「田蓑島」と呼ばれていました。『西淀川区史』(発行:西淀川区制七十周年記念事業実行委員会 1996年3月)によれば、「貞観年間(859〜876年)に佃村と改め、『田蓑庄』とも呼ばれたことに由来する」とあります。

また、『佃九十年史』(発行:大阪市立佃小学校 1964年2月)では、「東京の佃島住吉大明神の縁起書の中に、徳川家康公がこの島に来て漁業専門の漁師達に『漁業の合い間に農業も営むよう、またこの島の名称も今から佃村と呼びなさい』といわれたと書いてある」とあります。佃地域の言い伝えでも、「天正年間(1573〜1592年)に佃を訪れた家康が『漁業も大事だが、人はまず田で働け』と村民に言ったことから、にんべんに田をつけた『佃』に村の名前を改めた」とのことです。この説が正しければ、佃の名付け親は家康ということになりますね。

次号からは、田蓑神社(家康を祀る東照宮もある)などを佃支部のみなさんと取材していきますのでご期待ください。
(つづく)