赤城さんは、旧制中学5年生の夏に終戦を天草で迎えました。8月9日、雲仙の向こう側に湧き上がる原爆のきのこ雲を観た経験を話してくれました。60歳の時に肺がんに、80歳の時に肺炎を患いましたが、今は元気との事。
教育で習字を習う事。モットーは「自由気ままに上手くなろうと思わず、健康になるために」通信教育の先生にいつも素敵な手紙を頂くそうです。それも楽しみの一つと話してくれます。
これからも「何も心配ないよ!物忘れはひどいけどね」と話す笑顔が印象的でした。
92歳 姫島在住
安心して健康に住み続けられる街づくりを目指して
赤城さんは、旧制中学5年生の夏に終戦を天草で迎えました。8月9日、雲仙の向こう側に湧き上がる原爆のきのこ雲を観た経験を話してくれました。60歳の時に肺がんに、80歳の時に肺炎を患いましたが、今は元気との事。
教育で習字を習う事。モットーは「自由気ままに上手くなろうと思わず、健康になるために」通信教育の先生にいつも素敵な手紙を頂くそうです。それも楽しみの一つと話してくれます。
これからも「何も心配ないよ!物忘れはひどいけどね」と話す笑顔が印象的でした。
92歳 姫島在住
92歳になったばかり。
小さい時は身体が弱い子で、肺炎・肋膜炎などを繰り返し「あんたは本当に弱い子やったんやで」と言われていました。でも19歳から病抜けしてすっかり元気になって、足腰が悪くなる81歳まで好きな踊りを踊っていました。今では、大好きなカラオケで「白雲の城」や「悲しい酒」などを週2回の「よどの里」デイケアで歌っています。
食べものはお肉ではなく野菜や白身魚が大好きで毎日しっかり食べています。長生きの秘訣は「自然に、そして笑顔で」です。これを大切にもっと長生きすると元気に話されました。
92歳 野里在住
沖縄出身です。小さい時に大阪の泉大津に来て、結婚して西淀川区に来てから息子2人を生みました。
昔は旅行にも良く行きましたが、ご主人は24年前に長男も数年前にガンで亡くなりました。
次男は仕事の合間に、よく菊枝さんの家を訪れ、食べ物や水風扇を持ってきたりと家のものをきれいにしてくれたり、いっしょに買い物に行ってくれたりと母を思って助けてくれています。孫も来てくれ、足が悪くなってからも楽しく暮らしています。
93歳 野里在住
金沢生まれです。終戦後に肥後橋で交換手の仕事のため大阪へ出てきました。20代でドレスメーカーの夜間学校に通い、三国へ引っ越し、洋裁の「看板」を出しました。しかし40代に既製品がでてきて仕事が減り、家政婦をして息子と食べつなぎました。
洋裁をしていると姿勢が悪くなります。40代後半で広島の弟が「顎を引き、お腹を出し、肩甲骨をピンと張って姿勢をちゃんとしないとだめ」と言われ、今みたいな姿勢になりました。
現在は90歳で耳が聞こえにくくなっていますが、一番の希望は「保険で補聴器を」です。頑張りましょう!
90歳 西三国在住
地域で三味線の先生を50歳から43年間しています。25歳から26歳で心筋梗塞になり3か月、昨年は高血圧で15日入院しました。それ以外は元気で、現在は血圧も下がっています。
三味線は「大きな声で唄を歌うし、手を動かすから脳の活性化になります。そして楽しく会話するのでそれが魅力です」と語られました。今は「津軽三味線をもっとうまくなりたい」と新たに挑戦する気持ちを述べられていました。公民館まで三味線をかかえて自転車を走らせる姿はとても若く見えます。
92歳 姫島在住