手芸サークル「お針箱」佃支部

第7回 サークル・とりくみ紹介
佃支部 手芸サークル「お針箱」

「完成させる喜びをみんなで!」

今回は、佃支部で今年3月から始まった手芸サークル「お針箱」を紹介します。
「編み物をしたくて毛糸を買って編み始めたけれど、途中で分からなくなっている編みかけの毛糸があるの。教えてよ」と、森岡さんがご近所の人に頼まれたのがきっかけです。

「あら、わたしにも教えて」「わたしも」と、ご近所のみなさんやスクエアステップのお仲間が、たまり場「佃にぎわい広場」に集まって始まり、現在は12~13人が参加しています。

それぞれの人が編み物の本から編みたいものを選んで編み始めます。
「2本針編み」が上手な森岡さんと「かぎ針編み」が上手な瀧川さんのお二人を中心に、わからないところを教え合って完成させます。

編んでいるのは、帽子、手袋、ベスト、ショール、セーター、レグウォーマー、枕カバー、手提げバックなどなど…。大作に挑戦する方もいますが、小物を編んで「完成させる喜びを味わう」ことを目標にしています。

「編みかけの毛糸が押し入れにある」方、ご一緒に編んでみませんか。

いっしょに歩こう「佃地域編」(4)

田蓑神社(たみの じんじゃ)

田蓑神社拝殿

今回は、田蓑神社についてお話します。
田蓑神社略由緒によると神功皇后が新羅に出兵する際、住吉の大神を守り神として奉り、その帰途この地に立ち寄りました。その際に島の海士が白魚を献上し、その海士を奉ったとされています。その数百年後この地開拓の時、その海士が出現し「神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよ」と申され、住吉三神と神功皇后を奉って869年に創建されました。

社名は時代と共に、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社との説も)、住吉神社と変遷し、明治元年(1868年)に田蓑神社と改められました。
境内社には、東照宮(徳川家康公)・金比羅宮(大物主大神)・稲生社:宇賀御魂神(お稲荷さん)・七重之社:天照皇大神(お伊勢さん)・猿田彦命(みちびきの神)・事代主大神(えべっさん)・大国主大神(だいこくさん)・応神天皇(八幡さん)・少彦名大神(医薬の神)・菅原道真公(天神さん)が奉られています。

田蓑神社の狛犬

境内にある狛犬の中でも「御垣内の狛犬」は、1702年(元禄15年)正月17日に奉納され、大阪の石工によりつくられた狛犬(浪速狛犬)としては、最も古いものとされています。

また、「拝殿前の狛犬」は、あるテレビ番組の視聴者FAX投稿で「田蓑神社の狛犬の足をなでて祈願し参拝したところ、宝くじの高額当選を2度した」と紹介され、金運のパワースポットとして取り上げられたそうです。宮司さんによると「放映後から問い合わせあるが、投稿したご本人よりお話を伺っていないので詳細はわからない」とのこと。しかし、「狛犬の足を撫でたから宝くじに当たったというよりも、毎日狛犬の足を撫でる位に御祈願されたことで神様のお恵みを受けられたのでは」とのお話でした。

(つづく)

いっしょに歩こう「佃地域編」(3)

佃村・大和田村の漁業

前回「佃の漁民と徳川家康」について掲載しました。佃村は、大和田村とともに江戸時代には漁業が盛んな地域でした。エブナ(ボラの幼魚)はその味が特に優れていたので、多くの寿司に使われていたようです。また、シラウオやイカナゴなどがよくとれたそうです。

神崎川 佃防災船着場佃村・大和田村の漁民は、徳川家康との特別な縁故から慶長十八年(1613年)に江戸(現在の東京)の浅草川と稲毛川の禁止区域を除く、全国のどこの川や海でも漁業する特権を得ていました。江戸時代、佃村・大和田村は、西成郡に属して・大野村(現西淀川区)・野田村(現福島区)・九條村(現西区)・難波村(現中央区)の5漁村の組合には属さず、漁にかかる税も払わなくてよいとされていました(運上銀の免除)。

このことから漁民たちは佃近海の河川にとどまらず、明石や瀬戸内海、土佐湾にまで出かけて漁をしていました。近隣では、尼崎・西宮・堺など他地域との漁業上の紛争もたびたび起りましたが、この特権は、幕末まで効力を発揮し、有利に裁かれたようです。これにより佃村は、一時期、佃千軒と言われるほどの大集落となり繁栄しました。

佃の漁民が現在の私たちに残してくれた食べ物で最も身近なものは、何といっても佃煮です。佃煮は、魚や昆布を醤油と砂糖で煮しめた食べ物です。佃の漁民が工夫を重ねて作り出したものです。そんな歴史を感じながら、今夜のお食事に味わってはいかがでしょうか。

神崎川 佃防災船着場

 

ついに、たまり場が誕生!【佃支部】

暖かな春の陽気と共に、新年度が始まりました。コロナ感染も少し落ち着き健康友の会の活動も、感染対策をしながら慎重にスタートしています。そこで、4月号より、西淀川・淀川健康友の会の支部の活動を紹介していきます。

まずは佃支部をご紹介します。佃支部はこの春支部の淀川勤労者厚生協会健康増進センターとして、支部活動の拠点として佃3丁目にセンター(以後たまり場。名称は現在募集中)が出来ました。

佃地域は、以前は西淀病院支部(現西淀うちの支部)として活動していましたが、2007年3月に新たな支部として佃支部が結成されました。淀協の診療所や事業所のない地域ですが、現在1100余世帯の会員を擁しています。2022年度の支部目標も、もう一息で達成する勢いで頑張っています(2023年3月10日時点)。佃支部は長らくたまり場がありませんでしたが、この度佃3丁目の物件をご厚意で貸して頂き、ついにたまり場が誕生することになりました。昨年11月の佃食料無料市場実施時にも貸して頂いた場所です。

今後、たまり場で様々なサークル活動やイベントを行えるよう準備を進めていきます。たまり場の前にある子ども食堂とのコラボ企画も検討されています。先の世話人会では、今まで佃コーポで行ってきたスクエアステップをはじめ、映画や落語上映会、医療・介護に関する講演、マルシェ開催など新しい企画のアイデアも出されました。近日、たまり場の名称も決定する予定です。佃支部長はじめ、支部世話人さんたちも新しいたまり場への期待に胸を膨らませています。

さらに佃地域に根差した支部となるため、新たに動き出した佃支部の今後にご期待ください。

大阪市西淀川区佃3-17-27(佐々木商会看板あり)

いっしょに歩こう 佃地域編

見市家資料館の入り口

佃の開発は困難を極める

今回は、佃地域を健康友の会佃支部長の梅崎さんと尋ねました。
最初に尋ねたのは、千舟駅のそばにある「見市家」です。15世紀半ばの寛正年間に紀氏、芥川氏、見市氏など17軒の者が協力してこの地の開発をはじめました。土地には大藪といわれる藪の根が四方に延びて困難を極めたようです。現在の見市家は別邸だそうですが、古文書や古地図など多くの歴史資料が保存されています。

残念ながらコロナ禍で資料館を見る事はできませんでしたが、見市家の方とお話をすることができ、「コロナが落ち着いてきたらぜひいらしてください」と約束して、「佃鍬入の地」の碑があるところに向かいました。ここには見市家の屋敷があったところで「藪やぶ床とこ」と呼ばれ、2000坪(6600平方メートル)の土地に米俵100俵を収納する米蔵があったそうです。

「あそ歩マップ」に載せて〜!

次に佃小学校に今年の6月に建てられた「大東亜戦争被爆者鎮魂之碑」を見に行きました。以前は左門橋の東側にあったのですが、この地にうつされ、新しく「あそ歩マップ」に載せられる場所になるかもしれません。

由緒ある田蓑神社へ

最後に田蓑神社にある「紀貫之の歌碑」「謡曲『芦刈』の碑」「佃漁民ゆかりの地の碑」を見に行きました。田蓑神社には、大阪府下で最も古いといわれる狛犬(元禄15年正月17日)が本殿垣内にあり、徳川家康没後の寛永8年(1631年)には東照宮が祀られています。紀貫之の歌碑は「雨により田蓑の島をけふゆけばなにはかくれぬものにぞあるける」という歌がのっています。

「佃漁民ゆかりの地」の碑

また神社は「芦刈ゆかりの地」となっています。「川辺の芦を刈りながら貧しさに耐え暮していた夫婦が、男は妻を京へやり、別れてくらすことにしました。しかし、お互いの事が忘れられず、謡曲『芦刈』では男と、難波へもどった女が歌を交わして、互いの気持ちを伝え、ともに京に向かう」ということになっています。

最後に徳川家康から命じられ江戸に向かった佃村の庄屋、森孫右衛門たちは江戸時代の正保元年(1644年)に隅田川河口の造成事業を行い、その土地にふるさとと同じ佃島と名付けたそうです。そして今でも東京の佃島との交流が続いており、神社の真ん中にある鳥居は寄付人が「東京都中央区佃 講元」となっています。