戦後80年、平和で自分らしく生きられる世界をめざして

座談会2025年

2025年、日本は終戦から80年を迎えます。節目の年に、淀協や西淀川・淀川健康友の会とともに戦後を歩んできた先輩に学び、戦争のない世界、地域の健康づくりに取り組みたいと、和田美頭子さんと淀協の職員3人で座談会を開きました。


【和田美頭子さんのご紹介】
1927年香川県高松市生まれ。1937年に此花区伝法に移り住み、1945年の大阪大空襲を経験。疎開した香川県でも空襲を経験。戦後、大阪に戻ってのち夫の故和田重種さんとともに柏花診療所の設立や、健康友の会などで長年活動。1990年代後半より、『健康の友』編集委員を務める。



司会を務める淀協理事の湊隆介です。
淀川区内の健康友の会の活動に携わっています。

前川
姫島診療所で事務長を務めている前川蛍です。

齋藤
看護師をしています齋藤千治です。西淀病院に11年勤め、今は訪問看護ステーションコスモスで働いています。

和田
齋藤さんのお父さんとうちの夫は交流がありました。今度は私が齋藤さんに訪問看護でお世話になるかも(笑)

戦争の恐ろしさ、悲惨さを次に伝えることが大切

 


前川さん、齋藤さん、『大阪民主新報』の連載、「『戦争への道』許さない」に掲載された和田さんの体験を読んでの感想をお願いします。

前川
漫画で見たアメリカを思い出し「摩天楼の国に勝てるのか」と思った和田さん。日本が大国アメリカに勝つのは不可能で、多くの犠牲を出す前に止めるべきだった。

しかし、当時「戦争反対」の発言は許されず、聖戦だと多くの国民が信じていました。恐ろしい時代です。戦後、日本は憲法で戦争を放棄しましたが、政府を見ていると戦争が再び近づいていると感じます。

記事では和田さんの夫さんが慰安所の様子を話され、「人間がすることではない」と言いました。戦争は人間の正常な感覚を奪います。私も韓国のナヌムの家で、日本が韓国にしたことを学び、従軍慰安婦だった少女たちの証言や遺品を目にし戦争の愚かさを感じました。過ちを繰り返さないため、私たちが次に伝えることが大切です。

和田

和田 美頭子さん

戦争を知らない人が、人から聞いて想像する。でも、実は本当のところは体験しないと分からない。爆撃機が頭の上をかすめて飛んだ感覚は、体験しないと分からない。

一心不乱に逃げたが、飛行機が飛ぶ方に逃げるの。逃げるための冷静さすらなくす。「本当の戦争」を決して体験してほしくないと思います。

齋藤
日本がアジアを侵略しアメリカと戦争したことは知っています。戦争は残忍で、絶対にいけないと思います。しかし現代日本で生活していると、遠い国の昔の出来事のように感じられ、戦争への危機感がどんどん薄れるように感じます。特に現在の日本政府は過去の戦争を美化し、加害の歴史について極力触れないようにし、それどころか無かったことにするような歴史修正を行おうとしています。

戦争を経験した方から、身近な地域での戦争の話を聞ける事は本当に貴重な機会です。戦争の恐ろしさや悲しさがリアルに伝わります。戦争経験の世代がどんどん少なくなり、戦争の恐ろしさが忘れさられ、平和のありがたみが感じられなくなっていると思います。

和田
日露戦争の時に馬を徴発された母の話を聞きました。馬が民間からも引っ張られていくのね。戦争から帰った傷痍軍人が飴を売る様子も見ました。「お国のために」と送り出したのにこの仕打ちと思いました。兄は遺骨も返ってきていない。高松での1945年7月4日の空襲では親戚も行方がわからなくなった。水の中なら助かると思った方々が、ロータリーの水の中や風呂桶の中で亡くなったわね。

初心にかえって医療を。つながりがとても大事

 

湊 隆介

私は、淀協の歩みについてのお話を読み、労働者や住民の権利や健康が守られていなかった頃から、西淀病院と淀協が住民の皆さんと手を携え地域医療を支え、その向上に力を尽くしてきたことがわかりました。

そして、地域の健康の中心に「健康友の会」と『健康の友』があったこと、あとを継ぐ世代として背筋が伸びる思いです。同時に淀協も健康友の会も大きくなり、さらに大きく育てる意識や努力が弱くなっていると反省もしています。主体者意識を持ち、地域の健康づくりと西淀病院などの建替を進めたいと決意を新たにしています。

ところで、和田さんは淀協や健康友の会の活動の中で、思い出深い出来事はありますか?

和田
案外ちゃらんぽらんで。みんなと相談した結果、物事が運んでいった。個性の強い方が多くて、その人たちが仕切っていて、そこについていった感じね。個性の強いリーダーがいて、お寿司とか作るとなると10人あまり集まった。柏花のお寿司は有名だったわね。そしてお寿司のお金を積み立てて、たまり場を作ったの。


和田さんから現在の淀協や健康友の会にメッセージをいただけますか?

和田
初心に帰り、民医連綱領に基づいて医療をやってほしい。そして健康友の会の活動では、つながりがとても大事。会員の中のつながりだけではなく、地域との繋がりが大事です。

学習し、考え、声を上げ変化をつくっていこう

 


2025年は戦後80年。各自の抱負を。

前川

前川 蛍

自分らしく生きるには平和な社会が必要。しかし世界では戦争が続き多くの犠牲が出ています。日本でも軍事に多額のお金をつぎ込むより、多くの人が安心して生きられるためにお金を使って欲しい。

診療所で働き、困難を抱えている人と接する機会があります。困難な人に手を差し伸べる社会であれば、多くの人が生きやすいはず。誰もが自分らしく生きられる社会は黙っていても訪れません。声を上げ変化を求めることで、自分らしく生きることに繋げたい。

和田
投票に行かない人は、生活の苦しさをどうしたらいいのか分からないのかな。若い人は、スマホを見て紛らわせているのかな。そして年金は段々目減りしている。老後を暮らしていける年金になっていない。さらに万博のために税金が使われる一方で、介護保険料は上がり、社会保障はどんどん悪く。

齋藤

齋藤 千治

平和な今こそ、戦争の歴史を学習する機会が大切だと思います。学習し考える機会を増やすことで、ロシアのウクライナ侵略やイスラエル・ガザでの戦争について問題意識も高くなると思います。そして日本の軍事費倍増や憲法改定の動きにも反応できる、戦争センサーが身につくと思います。

そういった人が増えれば、戦争をSTOPさせる大きな力になると思います。意識も高くなると思います。そして日本の軍事費倍増や憲法改定の動きにも反応できる、戦争センサーが身につくと思います。そういった人が増えれば、戦争をSTOPさせる大きな力になると思います。

歴史を学び、戦争や平和について考えるには時間と余裕が必要です。日常の生活で精一杯だと考える余裕も無くなります。

長時間労働や低賃金、自己責任を押し付ける経済の在り方、多様性や個性を認めない政府の在り方を変えることは平和への道と地続きだと思います。
今年は、改めて戦争と平和を考える年にしたいと思います。

和田
気にかかることは沖縄での基地拡大。基地の拡大は人の命を守るというがそんなことはない。そして戦争はやってはいけない。第一、食料はどうするのか。島国で。輸入も輸出もできない。日本は農業もさっぱり。昨年夏の米不足、政府も対応できなかった。そして、先の戦争でしんどい思いをしたのは日本だけではない。お互いのために戦争してはいけない。


ありがとうございます。では、最後に和田さんの新年の抱負を。

和田
ありません。特に高齢になると1日1日の変化がある。時々思い出したことを手帳に書いたりはしていますけどね。


そうおっしゃらずにぜひ100歳を目指して…

和田
いや、堪忍して(笑)