いっしょに歩こう「淀川区加島編」

香具波志神社

 

阪神大震災で崩壊し、再建された鳥居

今回は、淀川区加島の(公財)淀川勤労者厚生協会付属ファミリークリニックなごみ近くにある香具波志神社を湊さん、竹島加島支部世話人の木佐さん、山脇さんとともに訪問しました。「七五三やらみんなこちらで。保育園にもお世話になって」「お祭りのときはここに屋台が並ぶんよー」など、お話しを聞きながら境内に入るとクスノキの巨木に目を見張りました。

クスノキの巨木

香具波志神社は、平安時代の959年創建と伝わる古い歴史を持つ神社です。社名は孝徳天皇が当地に行幸し、「香ぐはし」と詠んだ句によると云われています。本殿は1863年に建てられたものでしたが、1995年の阪神・淡路大震災により崩壊し、その後再建されました。

本殿

境内には様々な史跡が残ります。南北朝のころ、楠木正儀(くすのきまさのり)が、佐々木氏との合戦時に焼却した旧神崎橋である「康安年間ゆりあげ橋橋脚」や当社に戦勝祈願した際に愛馬をつないだという「楠木正儀、駒つなぎの楠」です。
この駒つなぎの楠は、その後大阪市一の巨木になり、1938年には大阪府の天然記念物に指定されましたが、河川暗渠化のために枯死し、今は切り株が残されています。

他にも戦国時代、三好長慶(みよしながよし)が戦勝祈願に朱大鳥居を奉納した「三好長慶、奉納の朱塗大鳥居の社名額、礎石」や、2021年大阪市有形指定文化財に指定された「蔵王権現神像(ざおうごんげんしんぞう)、童子像」、1959年大阪市史跡に指定された「上田秋成(うえだあきなり)奉納和歌帖、文化資料、遺品」、「加島銭座(かしまぜにざ)奉納品、運営資料、作成道具」などが残されています※1。

境内はクスノキの巨木を含め緑豊かで、隣接する保育園の園児の遊び場ともなっています。本殿前の白い梅、後ろ側の赤い梅の木にも癒されました。

紅梅の下を歩く

近隣の加島北公園にも立ち寄りました。住宅地の真ん中に縦長く広がる公園です。春は桜も咲き四季を楽しむことができそうです。遊具はすべり台、ブランコ、お砂場、鉄棒などが設置されています。

この公園では、5月11日(土)15時から「よどがわフードバンク食料助け合い市場」が予定されています(雨天時はファミリークリニックなごみ内で開催)。

※1 参考:大阪市ホームページ
淀川区の都市景観資源(わがまちナイススポット)

いっしょに歩こう 加島地域編

今回から淀川区に入ります。健康友の会竹島・加島支部世話人の安野さんと一緒に巡ってみました。

毛剘倫橋(もすりんばし)って知ってますか?

最初は、毛剘倫橋を紹介します。毛剘倫とは、獣毛を用いた織物で、もともとは、メソポタミアのモスルと言うところで織りだされた布地で、ヨーロッパを通じて幕末、明治にかけて輸入されていました。明治後半に国内生産が始まったそうです。

加島のこの地でも会社が設立され、対岸に工場を建設、工場と会社の間の神崎川に橋を架けて、その名を毛剘倫橋と名付けたとの事です。第2次大戦中、会社も工場も戦闘機を作る工場になり、それも焼失してしまい、名前だけが残ってしまったという橋のお話しでした。
一時期、毛剘倫は和服にも使われ、逆に輸出もしていたようです。

名前だけが残った「もすりんばし」

数多くの歴史上の人物と縁を持つ富光寺(ふっこうじ)

『富光寺縁起』によると、法道仙人が建てた建物がその起源になっていると言われています。長い歴史の間に、みなさんもご存じの孝徳天皇、法然上人、北条時頼、楠木正成、三好長慶(みよしながよし)、豊臣秀吉などと縁のあるお寺のようです。

山号は長慶山。その名からも分かるように、特に三好長慶は縁が深いようです。このように大変歴史のあるお寺です。富光寺では「見つけて持っていれば幸せになる」という「三鈷の松(さんこのまつ)」を配っています。興味のある方は是非訪れて下さい。

江戸時代、加島は鍛冶職人のまち
良質の銭を作っていた「加島銭座(かしまぜにざ) 」

加島の名は、一説に鍛冶ヶ島(かじがしま)が転じたものだといわれています。鍛冶を職業とする村人が多く住んでいたことからの由来であるということです。銭座とは、お金を鋳造している所の事だそうです。

大阪には高津、難波、加島の3カ所にその銭座があり、その中でも加島銭座は「酒は灘、銭は加島」といわれるほど、良質の寛永通貨(銅銭、鉄銭)を鋳造していました。銭座の場所は、加島4丁目の香具波志神社門前からの神崎川堤防までの地域にあったということです。その跡地である碑が香具波志神社の鳥居を潜った直ぐの所にあの「雨月物語」の作者でも有名な上田秋成寓居跡と言う名前と並び記されています。

香具波志神社のすみにある銭座跡地

 

今回紹介したところは、どこも分かり難い場所にあり、安野さんが地域の会員さんに聞いて頂いたり、かぐわし幼稚園の園児のお母さんに声をかけたりと奮闘頂きました。ありがとうございました。


毛剘倫橋(もすりんばし)


富光寺(ふっこうじ)

加島銭座跡

いっしょに歩こう 竹島地域編

竹島3丁目にある旧家の塀伝い

アイスコーヒーが、ない!

今回は、御幣島支部の世話人さんたちと竹島地域を訪問しました。御幣島地域から竹島地域へは、竹島本通りを歩いて向かいました。行く途中にとても昭和チックな「ビン入りアイスコーヒー」を作っている「ナニワコーヒー」があるはずでしたが、残念ながらすでに閉まっていました。暑い中、喉を潤すことができませんでした。

旧家の中にタイムスリップ

「さあこれから竹島」と言うところで交番があったので、勤務中の警官に「今この古い家並みを探して歩いているのですが、これってありますよね」と地図を見せながら話をしました。すると「これもう潰されてなかったんちゃうかな」という返事をもらい、「えー、ないんですか」と落たんの声を漏らしました。

「もうこれらの旧家はないかもわからないけど」と地図に沿って歩くと、「あれー、ひょっとして、あの木ってこの写真の木と同じと違う」という場所がなんと見つかったのです。「わあ、ほんまに向こうにこの古い家もあるわ」と、この一角だけ昔のままの古い家や大きな家が残っていたのです。「すごいね。こんな場所が残っていたんやね」とみんなタイムスリップしたようにうれしくなりました。

竹島公園内にある竹島天神社跡の碑

最後は竹島天神社跡

古い家の中を縫うように進んで、最後に竹島公園にある「竹島天神社跡」に向かいました。
かつて、ここは竹島天神社の祠が文禄3年(1594)に勧請され、文政6年(1823) に社殿修理、文政9年(1826)には石灯籠が寄進されたところです。しかし明治42年(1909)に香具波志神社に合祀されてしまいました。
最後に「お疲れさま、ほんまに暑かったわー」「さあ、冷たいもん飲もうか」とみんなでコンビニに入りました。暑いけど、楽しい地域めぐりでした。


旧家


竹島天神社跡(竹島公園内)